JR以外の路線・な(南海以外)
長崎市電1系統
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1998年2月
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長崎市内のやや北の方にある赤迫(あかさこ)という駅から、南に進んで長崎本線沿いに浦上駅前、長崎駅前を通り、3系統と分離してさらに南に進み、東に進路を変えて築町(つきまち)〜西浜町間で5系統と同じ路線を通り、西浜町で5系統と分かれて東に進んで正覚寺下(しょうかくじした)に至る路線である。
長い間全区間100円であったが、とうとう2009年10月に120円に値上げされた。だが、市電1日乗車券の価格は500円のままである。市電1日乗車券は長崎駅前や正覚寺下で売っている。
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長崎市電3系統
長崎市電5系統
長野電鉄
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1992年10月
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長野新幹線・信越本線の長野駅のそばの地下にある長野駅から北に進んで善光寺下に向かい、地上に出て須坂、信州中野を通り、温泉街である湯田中に至る、全区間電化されている路線である。
以前はこのほかに信州中野から北東に向かい、飯山線の飯山駅の近くにある木島駅に至る路線や、須坂から南に向かい、しなの鉄道の屋代に至る路線もあったが、信州中野〜木島間はかなり前に、須坂〜屋代間は2012年3月31日に廃止されてしまった。
この路線はそれほど客の多い区間ではなく、地元民は高校生以下がおもな客である。
しかし湯田中は観光名所であり、長野新幹線が開通したこともあって温泉客がかなり利用する。
また奥志賀高原へバスで行く客も、奥志賀高原に行くバスは湯田中から出ているので利用が見込まれる。
ほかにも小布施(おぶせ)といった観光地もあるらしい。あまり知らないがけっこう沿線に観光地は多そうである。
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長堀鶴見緑地線
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1998年3月その1
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大阪府西部、大阪環状線の大正駅から東に進み、心斎橋、森ノ宮を通り、大阪環状線沿いに北に向きを変えて京橋を通り、北東に向きを変えて鶴見緑地、門真南に至る路線である。
この路線に使われている電車は変わった構造をしており、モーターの一部をレールと一体化した変わった車両を使って運行されている。
なんでもこの方式にするとパンタグラフ方式や第三軌条方式より地下鉄用のトンネルが狭くてすむという利点があるらしいが、全国でも珍しい方式で、以前は長堀鶴見緑地線の他は東京の都営大江戸線でしか使われていない方式だったが、最近全国の地下鉄にちらほらと増えている方式である。
(愛知県にあるリニモも似たような方式だが、あちらはHSSTと呼ばれる方式で、かなり違う)
とは言え車内はちょっとだけ他の地下鉄より狭く、いごこちが悪いのが欠点である。
なんでも昔、花の博覧会、略して「花博」がこの路線の鶴見緑地駅のそばで開催され、その際の交通手段として京橋から鶴見緑地まで地下鉄が通ったといういきさつがある。
また、「なみはや国体」では終点の門真南駅の近くの競技施設が使われたという話である。
大阪ドームの近くに沿線が延び、大阪ドーム前千代崎という駅が設けられてかつては観客の足になっていたはずだが、大阪ドームを本拠地としていたプロ野球の近鉄がオリックスと合併してしまい、さらに大阪ドーム自体も経営不振で、この路線も地下鉄ともども安泰ではなさそうである。
また、京橋駅はJRの京橋駅とは多少離れており、長堀鶴見緑地線の駅前には「京橋コムズガーデン」という広場があり、たまにアイドルが握手会などのイベントを開催している。
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長良川鉄道
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1995年8月その2
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2000年2月
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高山本線・太多線の美濃太田駅から北北西に進み、関、美濃市、郡上八幡(ぐじょうはちまん)、美濃白鳥(みのしろとり)を通り、北濃(ほくのう)に至る非電化路線である。全区間岐阜県内にある。
JRが国鉄だった時代は、この路線は「越美南線(えつみなんせん)」と呼ばれていた。長良川鉄道になってもこの名前はいちおう線路の戸籍としては残っているらしい。
普通列車のみの路線で、美濃太田に近いほど1時間ごとの列車本数は多いが、北濃に近づくごとに少なくなっている。
沿線は郡上八幡などの観光地があることはあるのだが、岐阜から富山県に至る高速道路が長良川鉄道と城端(じょうはな)線を結ぶルートで建設されており、ついに完成した。
岐阜・名古屋・大阪から郡上八幡にその高速道路経由のバスが通っているので長良川鉄道のお客を奪っていそうである(もっとも郡上八幡のバスターミナルは長良川鉄道から多少離れている)。
逆に、新岐阜から関まで通っていた名鉄路線が廃止されてしまったため、従来名鉄を使っていた客が長良川鉄道に移った可能性はある。
山で囲まれた平野を通るためかなりながめが良い。
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名古屋市営地下鉄・東山線
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1995年4月その1
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1995年6月
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1995年8月その1
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JR名古屋駅の南西、JR関西本線や近鉄の八田(はった)駅の多少南(海沿い)にある高畑(たかはた)駅から近鉄より北に迂回して名古屋に進み、そこからほぼまっすぐ東に進んで繁華街である栄(さかえ)、千種(ちくさ)を通り、郊外に出て愛知高速鉄道(リニモ)の藤が丘に至る路線である。
名古屋、千種駅でJRと接続しているほか、いくつかの駅で他の地下鉄と接続している。
八田ではJRとは多少遠い位置に地下鉄の駅がある。
沿線は遠距離交通のかなめの名古屋駅と繁華街の栄を結ぶ路線であるため多少はお客がいるものの、もともと名古屋は道路が広くて自家用車の交通が便利なため、その分どの路線も多少お客が少ない。
それでも遠くから来るお客などのためにがんばってお客を運んでいる路線である。
なお、藤が丘駅は、1995年の時点では「藤ヶ丘」という駅名だった。このため上記の旅行記では藤ヶ丘と表記している。
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成田スカイアクセス
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1994年5月その5
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2つの駅の2つの改札
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乗り入れ状況
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諸事情
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補足
[2つの駅の2つの改札]
京成電鉄の京成高砂(けいせいたかさご)駅から京成電鉄と分岐して北東寄りに進み、JR武蔵野線の東松戸、東武野田線の新鎌ヶ谷(しんかまがや)を通り、進路を南東寄りに変えて京成電鉄の空港第2ビルを通り、終点成田空港に至る電化路線を通称成田スカイアクセスと呼んでいる。
なぜ通称かと言うと、実はこの路線は運行する会社がいくつもあってわかりにくいのでまとめているのだ。京成高砂から新鎌ヶ谷、そしてもうちょっと先あたりまでは「北総鉄道」という鉄道会社が運行しているらしいが、たとえそこを通る電車でも、電車によっては北総鉄道の収入にならないらしい。
京成高砂から空港第2ビルまでは成田スカイアクセスの他、京成電鉄も路線がある。そしてなんと、京成電鉄より成田スカイアクセスの方が運賃が高い。
どうやって区別しているのかというと、空港第2ビルと成田空港ではホームを前後に区切って、片方は京成電鉄(京成成田)経由、もう片方は成田スカイアクセス経由にして、改札も別々にしているのだ。
京成高砂〜空港第2ビル間の所要時間は成田スカイアクセス経由の方がずっと短いので、運賃差があたかも特急料金みたいな感じになっている、というわけである。
[乗り入れ状況]
成田スカイアクセス経由の電車は、この運賃の差とは別に、特急料金が必要な電車と不要な電車が走っている。
特急料金が必要な電車は京成高砂より西にある京成上野、日暮里(にっぽり)と空港第2ビル、成田空港しか停車せず、その他の駅には停車しない。
特急料金のいらない電車でも成田スカイアクセス全駅に停車する各駅停車はない。どの各駅停車も空港第2ビルの2駅西の印旛日本医大(いんばにほんいだい)止まりとなっており、印旛日本医大と空港第2ビルの間にある成田湯川には、京成高砂〜印旛日本医大間で少なくとも1駅停車しない駅がある電車しか停車しない。
成田スカイアクセスを通る電車のうち、京成高砂を通る電車はすべて京成電鉄に乗り入れており、さらに都営浅草線、京浜急行に乗り入れる電車もある。
行き先のうち一番多いのは羽田空港で、次いで西馬込(にしまごめ)、三崎口(みさきぐち)方面、京成上野となっている。ただし特急料金のいらない成田スカイアクセス経由の電車が京成上野発着となるのは夕方から深夜にかけてに限られる。
京浜急行の新逗子(しんずし)、浦賀方面から成田スカイアクセスへの乗り入れはない。
[諸事情]
この路線は一度に全区間が開通したわけではなく、部分部分で開通し、数十年を経て全区間開通に至ったという経緯を持っている。
まず新鎌ヶ谷近辺から千葉ニュータウン中央方向に開通し、その後京成高砂と新鎌ヶ谷近辺がつながり、さらに印西牧の原まで開通、印旛日本医大まで開通し、印旛日本医大までの開通後約10年かけて全区間開通した、という経緯となっている。
そして運賃については、最初に開通した時は他の私鉄とそれほど運賃は変わらなかったものの、開業区間が延伸するごとに運賃がうなぎのぼりに上がっていき、印旛日本医大まで開通した時点でとても高くなり、全区間開通した時はそれより多少安くなったという経緯がある。最初から運賃がとても高かった東葉高速鉄道(とうようこうそくてつどう)とは違った経緯である。
この路線は京成上野から成田空港を結ぶという使命があるため、成田空港がなくなりでもしない限り存続するのではないかと一応思われるが、途中駅の利用客が低迷する場合、京成高砂と空港第2ビル間の全駅が廃止になる可能性はあると思う。
もちろん他の路線と同様に自然災害、大きな事故には気をつける必要があるし、さらに京成上野と成田空港を結ぶ特急の運賃が京成電鉄の収入となり、北総鉄道などの収入にならないという問題もあるため、以前は成田空港がらみの事件もあったこともあり、そういった事件で成田スカイアクセスが通行不能になる可能性がごくごく少ないものの残されているんじゃないかと思う。
沿線住民のためにも残してほしい路線である。
[補足]
なお、成田スカイアクセスという通称は最後の開通区間である印旛日本医大〜空港第2ビル間が開通してから使用されるようになったものであり、以下の旅行記の1994年の時点では使用されていなかった。
このため以下の旅行記では北総鉄道の1994年当時の名称である北総開発鉄道という名称で書いている。
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