福井から乗ってきた急行能登を糸魚川(いといがわ)で降り、約1時間待った。
そろそろ大阪行き急行きたぐにがやってくるのでまたホームに行った。同じようにきたぐにに乗る人たちは、ほんの数人である。
ようやくきたぐにがやってきたので乗る。けっこう降りる人がいる。新潟からの終列車なのである。
自由席は、あっけないほど客が少なかった。3年前にも直江津から新津まで乗っているので知っているが、幅の広いボックス席であった。
そして1両に10人も客がいなかったため、1ボックス独占できたのである。
ぼーっと外をながめたが、暗いだけである。
なんだかカタカタ音がする。音の方向を見ると、小さなはしごが荷物入れにある。
そう言えば、きたぐにの車両は、ボックス席になっている車両もいざというときは寝台にできる構造だったと思い出した。たぶんこのはしごは寝台になった時に中段、上段の寝台に行くために使われるはしごなんだろうなあと思った。それだけ見ると、ちょっとだけ眠った。
目が覚めた。もう金沢は過ぎたようだ。
ぼくが持っている北陸ワイド周遊券では、敦賀(つるが)まで乗ることができる。敦賀から先に行ってしまうともう引き返すことはできないが、敦賀までなら、降りてから福井の方向に引き返すことができる。
夜が明けたら、武生(たけふ)から福井鉄道に乗りたい。でもきたぐには武生には停車しない。だから敦賀から引き返すか、福井で降りて先に進むかである。
時刻表を見ると、武生着の時間が早いのは福井で降りる方なので、福井で降りることにした。そんなわけで福井到着を待ち、まだ暗い中、福井に降り立った。
なんと女性が4〜5人並んでいた。大阪方面に行くらしい。こんな朝早くから大阪に向かう人もいるんだなあ。
武生の方に進む普通列車まで多少時間があるので、いったん改札を出ることにした。
でも福井には、待合室みたいなすわれる場所が全然ない。しかたなくずっと立っていた。そしてまた改札を通り、ホームに行く。
普通電車に乗り、数駅進んで目的地、武生に着いた。ここで降りる。だんだん空が明るくなってきた。
福井鉄道の駅が右手にあることはわかっている。ぼくは改札を通ると北陸ワイド周遊券のB券をいったんしまい、福井鉄道の武生新駅をめざした。
福井から乗ってきた始発電車を武生(たけふ)で降り、駅を出て右手に向かう。おととし12月と同じ道を通り、福井鉄道の武生新に着いた。
始発電車の田原町(たわらまち)行きが出るまでは時間があるようだ。おととしは福井新行きのきっぷを買ってしまったが、きょうはそのとなりの「福井市内」行きのボタンを押してきっぷを買った。これで田原町まで行けるだろう。
電車がやってきたのできっぷを切ってもらい、電車に乗る。きのうの夜乗ったのと同じ、多少古めのいい電車である。お客は数人である。そして発車。
おととし乗ったことがあるのでそれほど驚きもしない。武生の市街地を離れて、田んぼの景色に変わっていく。
しばらくずっと田んぼが続く。のどかな景色である。
そんな景色が続き、朝早いのでほとんど客も乗ってこない。そして福井の市街地に入っていき、おととし来た福井新を通る。さあ、ここからしばらくは乗ったことのない景色だ。
福井新から電車は道路の中央に入り、進んでいく。函館や広島の市電みたいな雰囲気だ。やがて電車は大きな川を渡る。
福井の中心街に入っていき、やがて右手に福井駅前に向かう、きのう通った線路が見える。そして合流。ここから先、田原町まではきのう通った場所だ。
あとはきのう夜通った場所を乗り直すことになる。しばらくは大きな建物が続いたが、そのうちそれほど大きくない建物になり、見覚えのある駅舎が近づいて、終点田原町に到着である。日曜朝早いせいかずっと客は少なかった。電車を降りる。
無人駅なので券売機がないことはわかっている。まっすぐ京福電鉄のホームに行こう。
武生新(たけふしん)から乗ってきた電車を田原町(たわらまち)で降りた。約12時間ぶりの田原町である。相変わらずひとけのない無人駅であった。
京福電鉄のホームに行ってしばらく待つと三国港(みくにみなと)行きがやってきたので乗って整理券を取る。
電車は発車する。日曜朝なのでお客は10人もいなかった。
しばらく市街地を走っていたが、そのうち人家がまばらになってきた。
そして芦原湯町(あわらゆのまち)に着く。けっこう大きな建物がたくさんある。
駅から離れたところには旅館とかあるかもしれない。
また電車は発車する。そのうちだんだん海が近づいたような気がした。お客が少ないまま、ようやく終点、三国港に到着した。
さてどうしよう。ちょっと付近を散歩してみようと思った。
「港」と駅名についているくらいだから海に近い。きのうの夜に親不知のあたりで暗い海を見たが、朝の海はもちろんいい。
ふと見ると、朝市みたいに何か海産物などを売っている場所に出た。日曜の朝なのでこんな風景にも出会えるのだろう。
とは言っても朝市で買うものなど1つもない。もうちょっと別の場所に行こう。
喫茶店を見つけた。朝は普通の食堂がまだ営業していなくて、喫茶店なら開いているので喫茶店でモーニングセットを食べることが多い。とりあえず入ってみた。
しかしなんとなくコーヒーだけ飲みたいような気がした。コーヒーを注文する。出てきた。
今日もうまい。ほとんど旅先でしかコーヒーは飲まないので、いつもおいしいコーヒーが飲めるような気がする。
喫茶店を出て三国港駅に戻る。福井行きが出るころだ。
でもやっぱりお客は少なかった。電車は発車する。
福井県内の京福電鉄は、あとは勝山に行く路線と永平寺に行く路線がある。
時刻表を見ると芦原湯町から永平寺行きのバスが日曜に出ている。なんだかおもしろそうなので乗ることにした。電車は芦原湯町に到着。電車を降りる。
バスが出るまで時間があるので駅のまわりを見てみた。
福井近郊に通う人の住宅があるが、それとともに大きな旅館が付近にあった。温泉の街なのだろう。
駅に戻るとバスが停車していた。乗るとけっこうお客がいる。土曜に芦原湯町に泊まって永平寺に行く客はかなりいるのだ。
すわってしばらく待つとバスが発車する。ぼくは永平寺ってどういうところなんだろうとわくわくしていた。
芦原湯町(あわらゆのまち)から乗った永平寺(えいへいじ)行きのバスは、しばらくは東へ進んだ。そしてJRの芦原温泉駅前に停車する。
何人か乗り降りし、また出発する。しかし記憶はそこまでで、夜行2連泊のぼくはたちまち眠ってしまった。
気がつくと広い道を進んでいる。福井の広い平野である。いい景色だなあ。
観光地と観光地を結ぶバスって便利だと思う。なにしろ、福井駅みたいな大都市はバスが混雑するのだ。
このバスみたいに観光地と観光地を結ぶ、大都市を通らないバスだと渋滞することもなく、すいすい進めるのでとても便利である。全国にこういうバスが増えたらいいなあと思った。
そのうちバスは急な坂をのぼっていった。ずんずんのぼっていく。平野をはずれて森の中をのぼっていく。
森の中の道をしばらく進んだところで、バスは終点、永平寺に到着であると言う。バスのまわりは観光客でいっぱいだった。なにしろ日曜日なのである。
確かにバス停の前にはお寺っぽい建物がある。まずは永平寺に入ってみようと思い、ぼくはバスを降りた。
芦原湯町(あわらゆのまち)から乗ってきたバスを永平寺で降りた。もちろんバス停の前にどーんと永平寺がある。
まわりはみやげもの屋があり、山の中の観光地といった場所である。
ぼくみたいに路線バスで来た人は少なく、観光バス客が多いようである。そりゃそうだろう。日曜日なんだから。
どうせ永平寺駅から東古市に行く電車は1時間後なので、永平寺に入ることにした。400円払って永平寺に入る。
入ってみたのはいいのだが、永平寺は斜面に建てられた寺なのである。
だからとんでもなく階段が多い。
奥に行ってみようとは思ったのだが、行けども行けども階段が続く。まわりには仏教に関連するものがたくさん置いてあるのだが、なにしろ階段を上がるだけで疲れてしまった。
そんなわけで、階段をそれなりに歩いたところでもういいやと思った。
入口に戻って永平寺を出た。さて京福電鉄の駅に行こう。
永平寺からは下り坂が続いていた。みやげもの屋がある。直接駅が見えるわけではないが、坂をおりると駅があるような気がした。みやげもの屋があるといかにも観光地という感じがしていいものである。
おりると丁字路で、どうやら右に曲がるとすぐ駅があるようであった。
行ってみるとひなびた森の中の駅、という感じの場所であった。勝山まできっぷを買う。
東古市行きの電車もかなり古い電車であった。
最近の全国の列車は、ディーゼル車はピッカピカに新しく、電車が古いことが多い。
電車は首都圏の私鉄の電車の「お古」が地方の私鉄にまわることがあるから古い電車が多いけど、ディーゼル車はお古になるようなものがないので新しいディーゼル車を使うから新しいんだろうなあと思う。
永平寺にいた観光客の数から比べるととても少ない数の客を乗せた電車は永平寺駅を発車していく。
電車は森の中を進んでいく。けっこう急な下り坂である。
下り坂を下りきると、ひろびろとした平野に来た。平野に来てしばらく進むと終点東古市である。
ぼくは電車を降りて、勝山行きのホームに行って電車を待った。
東古市駅で電車を待つ。勝山行きがやってきた。乗ってみる。けっこうお客がいる。発車だ。
勝山まではずっと平野が続いていた。左右に山が見える。いい景色だなあと思いながら電車に乗っていると終点勝山だ。
駅前はあまり人家が多くない場所であった。あとでこの場所は勝山の街はずれで、駅から離れた場所に市街地が広がっていることを知ったのだが、この時は小さな街だなあと思った。
ちょっとおなかがすいた。食堂でもないだろうか。
駅前に食堂があった。けっこう古びた食堂だった。なんとなくこういう食堂はうまそうだなと思った。
入ってみて親子丼を注文した。
出てきたので食べた。もちろんうまい。腹が減っていたのでなんでもうまく感じたのかもしれない。
食べ終わると店を出て駅に戻り、福井まできっぷを買った。
そして電車に乗る。客の数は似たようなものである。福井行きが発車した。
しかし、2泊も夜行に乗っているので眠くなってしまい、ぐっすり眠ってしまった。
気が付くとお客がたくさん乗っていて、市街地を走っていた。そして終点福井である。約18時間ぶりに京福電鉄の福井駅ホームに戻ってきたわけである。
さて、まだもうちょっと帰りの列車までは時間がある。
きのう石川県の私鉄として金沢から内灘(うちなだ)まで北陸鉄道に乗ったけど、北陸鉄道はもう1本あったっけな、接続しているのは西金沢だったっけなあと思い、いったん金沢に向かう特急に乗って西金沢をめざすことにした。
ぼくは京福電鉄の改札を出て、北陸ワイド周遊券のB券を見せてJR福井駅の改札を通り、階段をのぼった。
京福電鉄の勝山から乗ってきた電車を福井で降り、JRの福井駅にやってきた。
まだ夕暮れまでは時間があり、これからすぐに米原に行って東京に帰るのは早い。どこに行こうか。
あと残ったまだ乗っていない電車は、金沢の近く、野町(のまち)というところから加賀一の宮まで出ている電車だ。しかしどうやら全部乗る時間はなさそうだ。
ぼくは、新西金沢から野町まで乗ろうと思った。そのためには福井からJRの西金沢まで行く必要がある。
時刻表を見たところだと、福井から小松まで特急しらさぎに乗り、小松から松任(まっとう)まで快速、松任から各駅停車に乗り換えれば西金沢まで行けそうである。乗り換えがめんどうだけど西金沢に向かおう。
まずはしらさぎである。自由席に向かう。北陸ワイド周遊券は特急券いらずで便利である。もう今後福井と小松は加賀温泉で分離されて、両方特急券いらずなきっぷがなくなってしまうと思うと今の時間がとても貴重に感じる。
けっこう混雑していたが空席はあった。意外と長い時間かかって小松に着いた。
次は快速である。なんでこんな快速があるのか知らないが、けっこう便利な列車で、すいすい進んで快速は松任に着いた。
あとは各駅停車である。北陸の普通列車は独特のおもむきがあっていいなあと思いながら進んでいく。
そして西金沢に着いた。駅前は多少人家があるが、店とかはない。
改札を出ると、数十メートルほど離れたところに私鉄っぽい小さな駅があった。どうやらあれが北陸鉄道の新西金沢駅のようだ。ぼくは野町に行く電車がいつ出るか調べようと、新西金沢駅に近づいていった。
松任(まっとう)から乗ってきた電車を西金沢で降りた。駅から数十メートルほと離れたところにレールが見えて、左手に駅が見えた。あれが北陸鉄道の新西金沢駅なのだろう。入ってみよう。
JRとの乗換駅なのに、こじんまりとして待合室も狭い駅である。電車の本数もそれほど多くないようである。
そのうち野町(のまち)に向かう電車がやってきた。それほど混雑はしていない。日曜日の午後の電車だからなのだろうか。
お客も高校生っぽい人たちがいるくらいである。電車は市街地の、住宅街っぽい場所を通り過ぎていく。時刻表ではほんの少しっぽい新西金沢と野町の距離だが、いくつか駅もあるようだ。
そんな住宅街のまま、電車は終点、野町に到着した。まずは電車を降りる。
この駅はいちおうターミナル駅らしく、高校生だけでなく年輩の客もたくさんいた。さすがに鶴来(つるぎ)は遠いので、年輩の客も多いのだろう。
ぼくはもしここから金沢駅に行くバスでもあったら乗ろうかと思っていた。
しかしバスの案内を見ても金沢駅でない場所に行くバスばかりだった。だからぼくは西金沢経由で金沢駅に行くことにした。
(実は野町は大通りから奥まったところにあり、大通りまで出れば金沢駅行きのバスも出ていたのだが、ぼくがそのことを知るのは4ヶ月後のことである。)
そんなわけで新西金沢まできっぷを買い、また電車に乗る。さっきより客が多いようだ。そして発車。
電車は住宅街を進んでいく。そして新西金沢駅で降りた。
きのう、きょうと金沢は通過するだけで終わってしまったが、いつか観光してみたいなあと思いながら、ぼくは北陸ワイド周遊券のB券を取り出してJRの西金沢駅へと向かったのである。
野町(のまち)から乗ってきた北陸鉄道の電車を新西金沢で降り、JR西金沢駅に向かった。
今から金沢に向かい、特急しらさぎで米原に向かえば、なんとか指定席を取ってあるひかりに乗れそうだ。北陸ワイド周遊券を見せて改札を通り、金沢に向かう電車に乗る。
1駅進んで電車は高架に上がり、金沢駅に着いた。きのうの朝以来約30時間ぶりの金沢駅だ。とりあえず駅弁でも買っていこう。
駅弁売り場を見つけ、駅弁を買った。「能登和牛弁当」である。駅弁を買うと特急しらさぎの出るホームに向かった。
今度のしらさぎは名古屋行きだが、米原で一部が切り離されるようである。ぼくは米原でひかりに乗り換えるので米原止まりの車両で良い。米原止まりの車両の自由席の位置で並ぶ。しらさぎがやってきたので乗る。無事すわれた。
しらさぎは金沢を発車していく。北陸ワイド周遊券は敦賀までは特急の自由席に乗れるので、自由席特急券は敦賀〜米原で良い。しかもひかりに乗るので乗り継ぎ割引が使える。あらかじめ買っておいてある。
車掌に周遊券と自由席特急券を見せると駅弁を食べる。
能登和牛弁当にはかいわれ大根が乗っていた。大腸菌O-157の原因であると疑われ、敬遠されていたかいわれ大根である。結局ぬれぎぬだったようで、復活したわけである。
もちろん牛肉もたくさんある。食べ終わると眠る。もう日は傾いており、夕日を見ながら眠る。もうすぐ最後のワイド周遊券の旅が終わるのである。
目が覚めるともう滋賀県に入っていて、暗くなっていた。もうすぐ米原である。
そしてようやくしらさぎは米原に到着した。切り離し作業が始まらないうちに降りなければならない。急いで降りた。
しかし指定席の取ってあるひかりまでは時間があるので、米原駅の待合室がどうなっているか見てみようと思い、階段を上がって通路を進み、待合室に向かった。
さすがに新幹線停車駅だけあって待合室は広く、おまけにそば屋もあった。駅弁を食べていなければそばを1杯食べたいところだ。まずは待合室のいすにすわって休む。すぐそばに中間改札があり、便利なところである。
しばらく休み、ひかりが出る時刻が近づいたところで、ぼくは中間改札に周遊券と特急券を見せて通った。さあ、最後の列車だ。
特急しらさぎを米原駅で降りて、中間改札を通って新幹線の東京行きホームにやってきた。乗り換え時間がけっこうある。
ぼくは金沢で「能登和牛弁当」を買ってしらさぎの中で食べたので、もう夕食を買う必要はないのだが、ふと弁当を売っている女性を見ると、ものすごくかわいかった。
それでついフラフラ〜と弁当売り場に行ってしまい、「何か残っていますか?」などと質問して、鱒ずしとお茶を買った。
そしてひかりがやってきたので指定席にすわった。米原に停車するひかりは貴重なので指定席が必要なのだ。
鱒ずしは富山のますのすしとは違い、1口ごとに切ってあるすしで、その日のうちに食べる必要があるようなので座席で食べた。
あとはもう東京まで行くので眠っても大丈夫で、2日間の夜行の疲れもあってぐっすり眠った。
起きると新横浜を過ぎるところだった。暗い中をひかりは進んでいく。
もうこれで本当にワイド周遊券って終わってしまうんだな、と思った。
これから売り出される「周遊きっぷ」というのはどんなものかわからないが、さっそく来月あたりに使う予定でいる。
なんでも「ゾーン」が狭いものでも特急の自由席に乗れるそうなのでさっそく特急券なしで特急に乗ろうと思った。
そんなことを考えているうちにひかりは品川を過ぎ、東京駅へとすべりこんでいった。
あしたは会社だ。今夜しっかり休んであしたがんばろうと考えながら、中間改札で特急券を渡し、北陸ワイド周遊券のB券を見せて通った。B券も降りる駅で改札に渡してしまおうと思った。