1994年の夏は、青春18きっぷをまるまる5枚使い切りました。
9月の第一週の金曜夜に快速ムーンライトで新津に行き、米坂(よねさか)線経由で山形に行って左沢(あてらざわ)線に乗って帰って月曜に会社に行ったら、なんと当時の上司から「青春18きっぷが余ったから、2枚買わないか?」と言われました。
もっと早く言ってくれればよかったのにと思いました。なにしろ今度の週末は土曜日が9月10日で、18きっぷは1回しか使えないのです。上司は2枚を2000円という、当時の1回分の2260円より安い値段で売ると言うので買うことにしました。さてどこに行きましょう。
土日使えれば土曜にどこかで一泊して日曜に帰ることが可能ですが、日曜はもう18きっぷが使えないので、そうだ、4月に買った「はじめての高速バス」という書籍にも載っていた夜行バスにでも乗ろうかと思いました。大垣行きの夜行に乗って名古屋の方に行き、1日JRに乗って夜行バスで東京に帰ってこようかと思いました。どこに行くのがいいでしょうか。
時刻表を見て考えましたが、姫路あたりがよさそうに思えました。と言うのも、とある鉄道の本に、いろいろなそば屋が載っており、姫路のそば屋をはじめとした関西のそば屋が紹介されていて、ぜひ行ってみたいと思ったのです。
時刻表には姫路から渋谷に行っているバスの時刻と、バスを運行している東急バスの電話番号が載っていました。電話してみました。
とりあえず9月10日姫路発渋谷行きバスは取れましたが、バスの券は会社のもより駅のそばの旅行会社で買ってくれと言われました。昼休みに行くくらいしか行く時間がなさそうです。
なんとか昼休みに旅行会社で買いました。なぜか時刻表に載っていた運賃より515円高くかかりました。ぼくは夜行バスに乗るのははじめてだったのでこんなものなのかなあと思いました。とにかくこうして準備はできました。
余った18きっぷの1枚を捨てるのももったいないので、姫路から渋谷までの夜行バスの券を買った日に使うことにしました。会社帰りにまず池袋までJRで行き、西武で秋津に行き、武蔵野線で西国分寺、中央線で三鷹に行った後で、営団地下鉄の東西線の車両で中野まで行ってみました。
そこから先は中央線で大久保に行き、新大久保まで歩き、新宿で乗り換えて神田に行き、歩いて新日本橋に行き、横須賀線の直通で西大井に行き、歩いて大井町に行き、鶴見まで来たらもう午後10時になってしまい、あわててアパートに帰って寝たのですが、翌日は寝坊してしまい、午前休暇を取ってしまったのです。
こうして9月2回目の旅行の日になり、ぼくは品川駅へと向かったわけです。
山手線は、無事品川駅に到着した。
あらかじめ乗る駅で青春18きっぷにあした、9月10日の日付を入れてある。4月も先輩から買った18きっぷに4月10日の日付を入れて、今市(いまいち)から東京まで帰ってきたことを思い出す。
この夏は大垣行き夜行にこれまで2回乗っている。ずっとすわれている。
ただ前2回と違うのは、今回は臨時の大垣行きが出ておらず、1本しか大垣行きが出ていないことである。
臨時が出ていないくらいだから前2回ほど客はいないのかな、と思いながら階段をおり、通路を進んで階段を上がり、半月ぶりに大垣行き夜行の出るホームにやってきた。
しかし客は多かった。半月前と変わらない。
そして7月8月はホームの左右に定期の大垣夜行と臨時大垣夜行が出ていたが、今回は定期だけ、そして客の数は同じなので、片方だけ、行列がながーく続いている。とりあえず並ぼうか。
電車が入線してきた。乗ってはみたが、さすがにすわれなさそうだ。しかも、ぼくが乗るころにはデッキも通路もいっぱいになっていた。
しかたなく、通路に立った。4月にも立ってはいるが、あの時は茅ヶ崎から熱海まで乗っただけなので、名古屋まで乗らなければならない今日とは違う。
さらに乗ってきて電車が発車する。
横浜、大船と進むにつれて降りていく客が若干はいるものの、それほど多くなく、ずっと混雑したままとうとう小田原、熱海まで来てしまった。
そのうち立っている客の一部が通路にぶったおれて眠るようになった。トイレに行く客もいるが、ぶったおれて眠る客をまたいで進んでいく。たいへんだなあ。
とにかくぼくは立っていた。やっぱり臨時が出ない時期に大垣行きには乗らない方がいいのかもしれないな、と思った。浜松で長く停車するはずだからトイレは浜松で行こう。
そしてようやく電車は浜松に着いた。
とりあえず降りる。改札内のトイレは混雑しているようだ。外にもトイレがあるかもしれないと思い、外のトイレに向かう。川崎までのきっぷを渡し、青春18きっぷを見せて通る。
用をすませた。また改札を通る。まだ発車まで時間があるのでホームのベンチでちょっとだけすわっていこう。発車時刻が近づいたのでまた電車に入る。そして発車。さらに進んで豊橋に着いた。あともうちょっとだ。
さてこれからの予定だが、とりあえず姫路から渋谷行きの夜行バス、ミルキーウェイ号を予約してあるので夜までに姫路に着けばいい。多少どこかに寄り道できそうだ。
よし、まだ乗ったことのない太多線にでも乗ってみよう。そうすると、名古屋で降りて中央本線で多治見(たじみ)まで行く必要がある。去年の11月は岡崎で降りて米原行きに乗り換えたが、きょうは名古屋まで乗る必要があるな、そう思った。もう9月なので多少明るくなるのは遅い。
明るくなり、名古屋が近づいた。立ちづめの疲れと眠気でふらふらになってきた。窓の外の景色が都会に変わっていく。
そしてようやく電車は名古屋に到着した。電車を降りる。
さあ、多治見に向かおう。これだけ客がいるから、多治見に向かう電車も混雑しているかな、そう思いながら階段へと向かった。
ものすごく混雑していた品川発大垣行きの電車を名古屋で降りた。疲れたなあ。浜松でトイレには行ってあるのでまだ行かなくてもいいだろう。まずは中央本線で多治見に行こう。
階段をおりてのぼって中央本線のホームに出た。7月にも名古屋から中央本線に乗り換えたが、多少混雑していた。きょうはどうだろう。
うわ、いっぱいだ。見るとどうやら大垣行き夜行でいっしょだった人たちらしい。なにしろ人数が多かったから、各方向に大量に散っていくのだろう。こんなに客がいるのに臨時を出さないのだ。つらいところである。
まずは発車である。7月にも見たとおりの景色である。建物はそれなりにあるが、東京みたいに高層建築がそれほどあるわけではない。背の低い建物が続く。
各駅に停車していくが座席はあかない。長距離の人が多いようだ。7月にぼくがしたように、塩尻まで乗り継いでいく人も多いだろう。
そのうち岐阜県との県境が近づく。とたんに森が続く景色になる。
7月に乗った時は、確かこのまま長野県まで森が続いたような気がしたなあと思っているうちに目的地の多治見(たじみ)が近づいた。
しかし森は続かず、けっこうな広さの盆地になっているようだ。そんなふうにして多治見に到着。ここで電車を降りる。
ぼくと同じように降りる人はそれほど多くないようである。これならこれから乗る列車ではすわれそうだなと思いながら、ぼくは太多線(たいたせん)のディーゼル車を探した。
名古屋から乗ってきた電車を多治見(たじみ)で降りた。
ここまでずっと立ちづめだったが、これから乗るディーゼル車はすわれるかなあ。
ディーゼル車のところにやってきた。行き先は岐阜だ。どうやら高山本線の美濃太田経由で岐阜に行くディーゼル車のようだ。
乗ってみた。さすがに空席はある。
このまますわったら眠ってしまいそうだ。岐阜までは行く予定だし、眠っても終点で起こしてもらえるだろう。せっかくはじめて乗る路線なのになあ。
でもきょうも夜姫路から渋谷行きのバスに乗る時刻まで列車に乗る予定だから、ところどころ眠らなければならないだろう。ぼくはすわって目を閉じた。
目が覚めた。どうやらもうすぐ岐阜のようだ。それほど長い時間ではなかったが眠れたので、立ちづめの疲れは多少は取れた気がする。そして終点岐阜到着。
全然景色とか見ずに通り過ぎてしまった太多線だが、機会があったらまた乗ってみたいなあと思いながらディーゼル車を降りた。
ここからどうするかだが、とにかく姫路に行かなければならないのだから、まずは米原には行こうと思った。なんだか複雑そうな岐阜駅の通路を進む。どうやら岐阜は工事中のようだ。
多治見(たじみ)から乗ってきたディーゼル車を岐阜で降りた。
岐阜駅はどうやら工事中のようで、通路がごちゃごちゃしている。それでもなんとか案内に従って大垣方面のホームにやってきた。
それほど待たずに電車が来たので乗る。多少は混雑しているが、大垣行きから時間がかなり経過しているのでそれほどでもない。夜行ですわれなかったのがうそのようである。
夜行に乗っていた人たちはすぐに接続している米原方面の電車に乗っただろうから、多治見に寄り道したりして時間をずらすとそれほど混雑もしなくなるのだろう。電車は大垣に着いた。
電車を降りて米原行きに乗り換える。やはりそんなに混雑していない。そして発車。
大垣から米原まではかなりの山の中を通る。
そう言えば去年は青春18きっぷが使えない時期に今乗っている区間は通ったし、3年前は18きっぷは使ったけど名古屋からなんばまで近鉄に乗り、京都から静岡まで新幹線に乗ったから、18きっぷだけで関西方面に行くのははじめてということになる。
これからどれくらいこの景色を見ることになるかわからないが、しっかりと見ておこうと思うことにしよう。
電車はぐにゃぐにゃと進み、終点の米原に到着した。もちろんここで降りる。
京都の方に進む電車が停車していた。これに乗ろう。さてどこまで行こうか。時刻表でも見て考えよう。
なにしろきょうの予定は、姫路発午後9時ごろの渋谷行き夜行バスに乗ることくらいしか決まっていないのだ。まっすぐ姫路に行っても時間が余る。
そうだ、2月に北海道に行った時、とある鉄道の本に載っていた深名(しんめい)線の幌加内(ほろかない)と、ちほく高原鉄道の置戸(おけと)のそば屋に寄ったっけ、きょう姫路を目的地にしたのもその本に姫路のそば屋が載っていたからだった。この本に載っている姫路以外のそば屋にでも行ってみようか、そう考えた。どこがあったかなあ。
そうだ、確か湖西線の比叡山坂本(ひえいざんさかもと)駅の近くにそば屋があるとその本に書いてあったなあと思い出した。でも普通に山科から湖西線を往復するだけじゃつまらないなあ。
よし、京阪石山坂本線(けいはんいしやまさかもとせん)というのがある。東海道本線の石山という駅から乗ることができるので、今乗っている電車を石山で降りて乗り換えよう、そう決めた。考えがまとまったので、わくわくしながら石山を待った。
電車は石山に近づくにつれてお客が増えてくる。でもそれほどのこともない。
大混雑だった大垣行きの客は全然いないようだ。さすがにぼくみたいに太多線に寄り道する人もいないのだろう。きょうまで青春18きっぷが使えるのでもうちょっと関西の客がいてもよさそうだが、それほどのこともないようだ。でもなんとか席が埋まり、立ち客も出る。土曜日だからなあ。
ようやく電車は石山に近づいた。ぼくは立ち上がり、ドアの近くに行って開くのを待つ。
電車はスピードを落とし、停車。ドアが開く。
電車を降りて階段をおりて青春18きっぷを見せて改札を通った。さあ、京阪の駅はどこだろう。
米原から乗ってきた電車を石山で降り、改札を出た。京阪の駅はどこにあるのだろう。
駅のまわりを見回すと、高架の東海道本線のわきに、地上のレールがあるのが見えた。
しかし函館の市電みたいに道路のまんなかにレールがあるわけではなく、いちおう専用の場所に線路を引いているようだ。都電荒川線の王子や大塚みたいな感じだ。
レールをたどっていくと、ホームらしきものが見えた。JRの駅に比べるとずいぶんとこじんまりとしていて、本当に都電の駅っぽい駅だ。行ってみよう。
うん、京阪の駅のようだ。坂本まできっぷも売っていたので買う。ホームは対面式なので、まちがえずに坂本行きホームに行って待つ。けっこう電車を待つ客はいる。電車がやってきた。
電車は東海道本線の電車と比べると車両数も少ない。ここは滋賀県なのでこれでもやっていけるのだろう。オールロングシートなので立ち客が多少いる。電車が発車して、道路のそばから専用軌道に入っていく。
ここは住宅街のようだ。ながめのいい東海道本線と比べると見通しは悪い。
駅の数は多く、けっこう乗り降りがある。住民の貴重な足になっているようだ。こういう電車もいいなあ。
そのうち住宅街っぽかった景色がいかにも市街地の中心地といった感じの景色になり、路線も高架になった。そして駅に停車する。
駅の名前は「浜大津」で、「浜」という漢字を含んでいるくらいだから琵琶湖も見えるようだ。お客が浜大津でかなり降りていく。
東海道本線沿いよりも都会っぽい雰囲気だ。大津市の中心街はこの浜大津近辺なのだろう。
そして電車は多少少なくなったお客を乗せて発車する。
景色はすぐに市街地を離れて、田舎の景色になる。しばらくは琵琶湖が見えていたが、やがて見えなくなる。とは言っても琵琶湖沿いの平地を進んでいるようだ。
お客は駅ごとに降りていき、1車両に数人ほどになる。そして終点の坂本が近づいた。
「きっぷを回収いたします」
車掌がやってきた。なんだかわからないが石山で買ったきっぷを渡す。坂本ではきっぷを見せる必要はないのかな?
そのうち電車が停車する。終点坂本のようなので降りて歩く。
どうやらこの駅は無人駅のようだ。なるほど、終点が無人駅なのできっぷを車内で回収してしまうのだろう。そのまま改札を通る。
3年前の御堂筋線に続いて、また1つ関西の私鉄に乗ることができた。
さて、「ものの本」によれば、このあたりにそば屋があったはずなのだが、本には何と書いてあったかな。
うーん、駅から見回してもなさそうだし、湖西線の比叡山坂本(ひえいざんさかもと)駅の近くかな?比叡山坂本駅はどっちだろう?
とりあえず山と反対方向に歩けば見つかるだろうと思い、歩いてみた。
あまり広い道はない。歩道もないせまい道が続いている。
2月の北海道旅行を皮切りに、列車でいろいろな場所に行っているが、けっこうこういうせまい道が多いなあと思いながら進む。
じきに高架の鉄道っぽい建造物が見えてきた。そうだよなあ。湖西線って、特急を走らせるために建設された路線だから、高架の路線だよなあと思いながら建造物に近づいていった。
ようやく建造物の近くに来た。駅らしい建物も見えた。近づいてみよう。
無事到着。やはりそこは比叡山坂本駅であった。まずはめでたい。さあ、そば屋を見つけよう。
しかし、確かに食堂っぽい建物は比叡山坂本駅のそばにあるが、そば屋ではなさそうだ。うーんどうしようか。しかたない。ここで食事にしよう。そば屋はまたでいいや。
比叡山坂本駅の近くの食堂は、そば屋ではないけど、まずまずの食事が食べられる場所であった。どうせ夜に姫路に着けばいいのでゆっくりと食事にした。
おなかもいっぱいになってひといきついた。
比叡山坂本駅近くの食堂で昼食をとると食堂を出て、駅に戻った。
それほど待たずに京都行きがやってくるようだ。青春18きっぷを見せて改札を通る。
高架のホームに上がってしばらく待つ。待っている間にホームにある広告をながめてみた。
ああ、ここはぼくが行きたかったそば屋の広告ではないか!やっぱりこの駅の近くにあるんだ!
もう1回「ものの本」を見て、きちんと場所を調べて行こうと思った。そしてまた待つ。京都行きの電車がやってきた。
電車に乗る。お客は多少いるがそれほどでもない。大垣行きの電車にはあれだけお客がいたけど、四方八方に散ってしまうのでもうほとんど見かけない。すわると発車だ。
電車は琵琶湖沿いの高架の線路を京都に向けて走っていく。京阪石山坂本線よりながめが良く、琵琶湖が見える。そんな景色をながめながら過ごす。
さてこれからどうしよう。
ぼくはまたそば屋が載っていたのとは別の鉄道の本のことを考えていた。
その本には「夜行列車に連泊した人」の話が載っていた。
なにしろ、100泊以上も連続で夜行列車に乗っているとのことだ。
この人は日常の用事とかはどうしているのだろう?
ぼくは想像した。新大阪発新宮行きという夜行の快速がある。たぶん以前は天王寺始発だっただろう。天王寺から新宮までは南近畿ワイド周遊券の自由周遊区間に入っている。
どの夜行に乗ったかは何も書いていないが、この人の日常生活は大阪近郊で、南近畿ワイド周遊券を使い、夜になると天王寺に行き、新宮行き夜行に乗り、朝新宮に着くと特急で天王寺まで帰って日常の用事をこなしていたのではないだろうか?
夜行列車が周遊券の自由周遊区間に入っているのは、この列車以外は北海道か九州くらいだし、それよりは大阪の方が人口が多そうだし、この人も関西の人なのではないかと思ったのである。
うらやましいなあ。ぼくも2月の北海道旅行みたいにまた1週間休暇が取れたら、南近畿ワイド周遊券を買い、新大阪発新宮行きの夜行に乗って朝天王寺まで帰り、大阪近郊の列車に乗りまくりたいなあ、そう考えた。
そう考えると、南近畿ワイド周遊券の自由周遊区間に入っていない路線をあらかじめ乗っておくのがいいかなあと思った。
うーんそうだなあ、京都から奈良線で木津に行き、片町線で京橋に行くのがいいかもしれないなあ。関西本線は自由周遊区間だが、この2路線は行き帰りに使えるけど乗り放題ではないのだ。青春18きっぷで乗るのが良さそうだ。よし決めた。
今後の行程も決まり、またぼくは景色をながめた。
ずっと田舎の景色だった湖西線だが、いきなり市街地の景色になった。つい数時間前に京阪石山坂本線で見た景色らしい。大津の市街地のようだ。そこを過ぎるとトンネルに入っていく。
電車はなんだかよくわからない立体交差みたいな線路を通り過ぎた。どうやら東海道本線と合流したようだ。このあたりは去年の11月に通ったきりだから、まだあまり景色を覚えていないけど、どんな景色もいい景色だなあ。
そして電車は山科駅に到着した。そしてまた発車。あと少しで京都だ。
湖西線区間と東海道本線の区間の景色はやっぱりどことなく違うなあと思っているうちに電車は終点、京都に到着した。電車を降りる。
3年前は八つ橋を買った京都駅だが、きょうは何も買わずに乗り換えよう。さて、奈良線で木津に行かなければならない。奈良線のホームはどこかな、と思いながらぼくは階段を上がった。
なお、新大阪発新宮行きの夜行は、途中の紀伊田辺止まりに短縮され、2010年3月にはさらに御坊止まりに短縮され、2018年3月には始発が新大阪でなく京橋となり、京橋発御坊行きになった。大阪駅を経由するようになったわけである。
比叡山坂本から乗ってきた電車を京都で降りて、案内に従って奈良線ホームを探した。
けっこう遠いところだったが、なんとかたどりついた。奈良線の電車はそれほど古いものではなかったが、米原から石山まで乗った新快速のことを考えるとそれほど豪華というわけでもないように思えた。
乗ってみた。府庁所在地のはずなのに空席があり、楽にすわれた。東海道本線と比べると客は少ないようだ。そのまま発車。
電車は進んでいく。さすがに京都駅近くのような都会の景色は長くは続かない。駅があるくらいだからそれなりに住宅はあるものの、進むにつれて少なくなっていく。客も減っていく。
すっかり住宅も客も減ったところで目的地の木津(きづ)に着いた。ここで降りる。
きょうはここから片町線で京橋に向かう。あとの路線は2月みたいに休暇をたくさん取って、南近畿ワイド周遊券を買って乗ろう。
とりあえず案内板で京橋行きの時刻を調べる。げっ、40分も先だ。いったん改札を出よう。青春18きっぷを見せて改札を通った。とりあえず待合室に行く。
2月に北海道に行ったときは夜行列車にたくさん乗った。だれもいない駅で列車を待ったことがたくさんある。そんなときに駅に置いてあるパンフレットを見たものだった。
木津の待合室にもそんなパンフレットがたくさんあった。見てみよう。
えーとなになに、トワイライトエクスプレスのツアーだって???そうか、トワイライトエクスプレスって、関西からツアーで乗れちゃうんだ!
ということは、旅行会社が寝台をおさえているわけだから、普通にみどりの窓口で買おうと思ってもなかなか買えないだろうなあ。それにこういうツアーって、「2名様以上でお申し込みください」ってなっているから、いっしょに旅行に行く仲間のいないぼくには縁のないものだ。
そんなふうにパンフレットを見ているうちに京橋行きの発車時刻が近づいたので、待合室を出てホームに向かうことにした。
奈良線の電車を木津(きづ)駅で降りて待合室で約40分待ち、片町線のホームに向かった。
電車がやってきたので乗る。オールロングシートである。大阪環状線に向かう電車だし、これでいいだろう。
お客は少ない。40分待つくらいだから客の数もこんなものだろう。
時刻表では片町線は朝夕の電車しか載っていないが、朝夕の電車の時刻を見る限り、木津駅より途中駅を出る電車の方がずっと多いようだ。そして電車は発車。
しばらくは畑の広がる景色が続く。
だんだんと景色から畑が少なくなる。でも東京の山手線の近くの、高層建築が続く景色とはならず、低い建物が線路の近くに見えるだけである。
やっぱり東京と違って大阪は中心部に近いところでも一戸建てに住めるような場所のようだ。住みやすいところなのかもしれない。
そんな景色が京橋の近くまで続き、京橋寸前になってようやく高層建築が見えてきた。もうそろそろ京橋である。
片町線は2本に1本が京橋止まりで、残りの1本が片町まで進むダイヤのようだ。もう午後3時だし、今からだと京橋から大阪まで行き、福知山線で谷川まで行って加古川線に乗るとだいたい姫路発の夜行バスの発車時刻になりそうだ。なにしろワイド周遊券で行ける場所はとっておきたいので、山陰ワイド周遊券で乗れない加古川線に乗っておきたいと思っているのだ。
加古川線に乗るにはきょうは片町に行くのはあきらめたほうがいいだろう。そんなことを考えているうちに電車は京橋に到着した。ここで降りる。木津では数えるほどしかいなかった客の数は、京橋ではけっこう増えていた。でも東京の山手線の駅の客の数ほどではない。
なにしろ大阪に来るのはまだ3度目だ。味わって電車に乗ろうと思い、大阪環状線ホームの案内を探した。
木津(きづ)から乗ってきた電車を京橋で降りて、大阪環状線のホームを探した。
去年の11月に来たはずなのにけっこう複雑でどう進めばいいかさっぱりわからない。
なんとか大阪環状線のホームに着いたと思ったら天王寺方面だった。大阪方面のホームに行くのがまた大変だ。
あちこち進んでようやく大阪方面のホームにやってきた。ホームに来れば電車はすぐやってくる。乗ろう。
去年と同じ景色を見る。お客の数も去年とそんなに変わらず、なんとかすわれる。
片町線ののどかな景色がうそのように都会を進み、無事電車は大阪駅に到着した。ここで降りる。
さあ、福知山線に乗り換えだ。なんとかこの時間に福知山線で谷川まで行って加古川線に乗っても夜行バスのミルキーウェイ号が出るまでに姫路に着けるだろうと思い、ぼくはくだり階段へと向かった。
京橋から乗ってきた電車を大阪で降りた。さあ、福知山線に乗り換えだ。
大阪駅は大きいのでどのホームに行けばいいかわからないが、なんとか福知山線のホームを見つけてやってきた。
これから福知山線で谷川まで行き、加古川線に乗って加古川に行って山陽本線で姫路に行く予定である。姫路で食事する時間もあるようだ。
電車が入線してきた。電車に乗る。ボックス席とロングシートのある電車だ。環状線みたいなオールロングシートでも新快速みたいな2列シートだけでもない。やっぱりはじめて乗る電車はおもしろい。
ロングシートにすわる。けっこう客は多いがそれほど立つ客は多くないようだ。そして時刻表どおりに電車は発車する。
淀川を渡る。どこから兵庫県なのかわからないが、尼崎(あまがさき)は兵庫県の駅なので、尼崎に行く途中のどこかで兵庫県に入ったはずだ。
はじめての兵庫県入りなのだが、あまり知らない県に入ったような気がしない。まあ今回は神戸とか行かないし、追い追い乗っていこう。
尼崎を過ぎて福知山線に入っていく。するといきなり山々が左右に見えるようになる。大阪は平野が狭く、電車でちょっと進むともう山なのだ。そんな中、けっこうなお客を乗せて電車は走っていく。
山は小高い山から深い山へと入っていく。トンネルをくぐる。
「きっぷを拝見いたします」
ひさしぶりに昼間の列車で車内改札がやってきた。ひさしぶりに青春18きっぷを見せる。やっぱりちゃんと車内改札やっているんだなあ。
窓から見える景色はすっかり山の中になった。けっこう高い山が左右にせまり、せまい川がすぐそばにある。大阪に近いところがこんなに峡谷になっているんじゃ、大阪から離れたらもっとけわしい景色になるんだろうなあ、福知山線ってすごいところを通っているんだなあとこの時は思った。
しかし目的地の谷川が近づくと、どういうわけかのどかな盆地の景色になっていく。福知山線は大阪に近い一部分だけ峡谷になっているのだ。そして目的地の谷川に到着。ここで電車を降りる。
乗り換えの加古川線、西脇市行きのディーゼル車が出るまでちょっとだけ時間があるので、青春18きっぷを見せて改札を出てみた。もう午後5時近く、夕日が西に傾いている。でも列車が時刻表通りに走ればなんとか午後9時半までに姫路に着けるだろう。
そんなのどかな盆地の山々を見渡して過ごす。さあ、加古川線に乗ろうと思い、谷川駅に戻った。
大阪から乗ってきた福知山線の電車を谷川で降り、夕焼けの光を浴びた山々の景色を見て谷川駅に戻ってきた。青春18きっぷを見せて改札を通る。
これから乗るのは加古川線のディーゼル車だ。まずは西脇市行きに乗る。
西脇市行きのディーゼル車は、午前中に乗った新型の太多線のディーゼル車と比べるとかなり古いものだった。しかしそれほど古いという感じがしない。
なにしろ、7月に乗った日立電鉄の電車がものすごく古かったからだ。日立電鉄と比べると加古川線のディーゼル車もそれほど古いとは思えない。
今年は北海道旅行に始まり、去年以前よりもたくさんディーゼル車に乗っているような気がする。半分近くは新型のディーゼル車だった。
数年前はまだ相模線とかも非電化だったから古いディーゼル車が走っていた。5月とかに乗ると窓を開けて乗ることができた。そんなことを思い出す。
ディーゼル車は西脇市に向けて発車する。お客は1両に10人ちょっとくらいしかいないようだ。
しばらくは谷川周辺と同じ、夕日を浴びた山々が見えたが、やがて日が沈み、まっくらになった。
お客も降りていく。時間が過ぎる。このディーゼル車は時刻表通りに走るだろうかと思ったが、ちゃんと時刻表通りに進み、無事西脇市に到着した。ディーゼル車を降りる。暗いのであまりわからないが、まちなかの駅のようである。
西脇市で加古川行きに乗り換える。加古川行きも谷川から乗ってきたディーゼル車とほとんど同じようなディーゼル車だ。ほとんど客もないまま発車。
もうすっかり暗くなった中、ディーゼル車は各駅に停車しながら進んでいく。
それなりに山陽本線には近いはずなのに、全く客の乗り降りがないまま進む。もしかしたら反対方向に進む列車なら多少は乗っているのかもしれない。なんにしても混雑しない列車は、お客にとっては理想的な乗り物である。
加古川が近づいても市街地に入ったような感じは全くしない。
遅れることもなく、ディーゼル車は終点加古川に到着した。ここで降りるが、ホームのひとけもまばらである。本当にここは山陽本線の駅なのだろうか?まずはきょう最後の乗り換えだ。
階段でなんとか姫路行きが来るらしいホームにやってきた。古いディーゼル車に乗って、はるばるやってきたので、こんな場所に本当に電車が来るのか不安になる。
でも電車はちゃんとやってきた。約6時間前に米原から石山まで乗ったのと同じような新快速の電車だ。
乗ってみたが、お客はほとんどいない。日が暮れるとこんなものなんだろう。電車は加古川駅を発車する。
あとはほとんど客の乗り降りもなく、姫路までずっと暗い中を進む。姫路の直前でようやく市街地に入る。そして姫路着。無事渋谷行き夜行バス・ミルキーウェイ号が発車する前に姫路に着くことができた。
さあ夕食だ。「ものの本」に載っていたとおり、そば屋に行こう。なんでも新幹線口にあるとか書いてあったなあ。
階段を上がる。新幹線ホームはこっちのようだ。進むと中間改札と出口の改札があった。出口の改札の方に青春18きっぷを見せて通る。
もうきょうは電車には乗らないのだが、たぶんバスターミナルに行くには駅を通った方がよさそうなので、本当はいけないのかもしれないが、あとで18きっぷを入場券代わりにするつもりなのだ。
階段をおりる。そば屋はどこだろう。あそこに食堂っぽい一角がある。
お!見つけた!ものの本に載っていたそば屋「御座候(ござそうろう)」だ。店に入る。
うん。いかにもそば屋っぽいところだ。席もあいている。そばを注文する。
そばが出てきた。きょうもうまい。やっぱりここはいいそばを食べさせるところだ。また来たいなあ。
無事そばを食べることができた。ごちそうさま。さあ、店を出てバスターミナルに行こう。
姫路駅のそば屋・御座候(ござそうろう)を出ると、とりあえず駅を出た。もしかしたら渋谷行きのバスはこちら側から出るかもしれないと思ったからだ。
駅前には確かにバス停がある。しかしそこには「福岡」「長崎」と書いてある。
どうやらこのバス停はこれから乗る東急バスのバス停ではなく、ライバルの山陽バスのバス停のようだ。やっぱり東急の方は駅の向こう側のようだ。いったん青春18きっぷを見せて改札を通ろう。
駅に戻り、階段を上がって18きっぷを見せて改札を通り、通路を進む。そしてまた階段をおりて新幹線と反対側の改札にやってきた。また18きっぷを見せて改札を通る。
駅前は広場があった。新幹線側の出口より建物が多いようだ。さてバスターミナルはどこだろう。
広場をはさんで向こうにいかにもバスターミナルっぽい場所がある。行ってみよう。
広場をぐるっと回ってその場所に行ってみた。確かにバス乗り場だ。入ってみよう。
そこには発車案内板や窓口があった。「渋谷」の文字もある。確かに渋谷行きはここから出るらしい。
念のため東京で買ったチケットを窓口に見せてみた。やっぱりこれでバスに乗れると言う。よし。これでここで待てばいいことが確定した。とりあえず21:30を待とう。
ここは夜行バスばかりでなく通常の路線バスも出るターミナルのようだが、路線バスはそんなにお客を乗せずに発車していく。もう夜遅いからなあ。土曜日だし。
だんだんと大きな荷物を持った客が集まってきた。どうやら彼らも渋谷行きに乗る人たちらしい。なんとなく安心する。そしてうきうきする。はじめての夜行バス、どんなものなのかなあ。
「夜行バスに乗るの、きょうがはじめてなんですよ」などと、近くにいた掃除のおじさんっぽい人に言ってみたりしているうちに客も集まり、発車時刻が近づいた。
そしてようやくバスがやってきた。「Milky Way」と書いてある東急のバスである。
バスは停車する。そしてゆっくりとドアが開く。さすがに路線バスとは違い出口は前にしかない。そして運転手が降りてきた。
席は指定してあるので急ぐ必要はないのだが、まわりにいた客が1列に並んだ。どうやら荷物を預けているようだ。やっぱり夜行だから、大きな荷物を持った人が多いのだろう。
荷物を預けた客から中に入っていく。ぼくは荷物を預けずに入ることにする。あれ、もう1人運転手がいる。
なるほど、運転手が2人いて、交代で渋谷まで行くのだろう。なにしろ夜行バスは初めてだから、知らないことばかりだ。とりあえず運転手席にすわっている方の運転手にチケットを渡して、渡したチケットに書いてあった座席に向かう。まずは車内を見渡す。
うん、本に書いてあったとおり、独立3列シートだ。そして運転手の列の中間部分にトイレがある。ぼくの席は・・・トイレの前か。
とりあえずすわる。お客がどんどん乗ってくる。でも満員になるわけではない。確かこのバスは姫路だけでなく三ノ宮にも寄っていくから三ノ宮から乗る客もいるのだろう。
客の1人が、リクライニングシートをぐいっと倒した。あれ!このバスってリクライニングがそんなに倒れるんだ!かなり水平に近いところまでこのバスのリクライニングが倒れるのを見てぼくはびっくりした。
なにしろ夜行バスに乗るのは初めてなので、こんなにリクライニングが倒れる座席も初めてだ。なにもかも知らないことだらけである。そして予約してあった客が全員乗り込んだようで、このまま発車となる。シートベルトをしめておこう。
発車してしばらくすると、車内前方にあるディスプレイが見やすい位置にすーっと動いて、何かのビデオが流れ出した。
どうやらこのバスの案内らしい。
ビデオはこのバスが姫路から三ノ宮を経由して渋谷に行くバスであることを説明し、そして車内設備の案内を始めた。
確か夏休み前に新宿から河口湖まで乗ったバスでもこういうビデオを流していたような気がする。きょうのビデオもおもしろい。やっぱり昼間のバスと夜行バスはちょっと違うのかな。
現在全国にはいろいろな夜行バスが走っているけど、どこのバスでもこういうビデオを流しているのかな、いろいろ見てみたいなと思った。
ビデオが終わる。それからもゆっくりと進んでいく。
なにしろ中国地方の高速道路は津山・新見・三次(みよし)経由の中国自動車道が先に建設されていて、山陽沿いは建設が遅れているはずだ。
確か名神高速道路の終点はずっと西宮だったはずだ。
それでもぼくは数年後に山陽道を通ることになるので、もしかしたら1994年時点でも山陽道はそれなりに延伸していたのかもしれない。とにかくバスは暗い道をゆっくり進んだ。
そして約2時間かけて三ノ宮に到着した。でも鉄道の駅が見えるわけではない。なんとなくうすぐらいところだ。まあ、駅が直接見えないところに着くのだろう。
ここからも客が多少乗ってはくるがたいしたことはない。どうやら満席になったようだ。
この時点ではまだ三ノ宮周辺を鉄道で通ったことがなかったのだが、あとで来た三ノ宮がけっこう繁盛していたことを考えると、あそこはどこだったのかなあと今でも疑問に思う。
しばらく停車していたが、ようやくバスは発車した。そしてさっき見たビデオを再度流す。
それが終わると消灯になる。ふだん大垣行き夜行ばかり乗っているので夜行列車でも照明をつけたままというのがもはやあたりまえになっているが、そう言えば2月に北海道で乗ったいくつかの夜行列車はどれも照明を暗くしていたっけなあと思い出す。
そして照明が消える。文字通りまっくらになるのだ。カーテンも閉めているし、カーテンのすきまの明かりくらいしか見えなくなった。夜行バスってこういうものなんだなあ。
さあ、眠ろう。
トイレの前なのでリクライニングを倒してもうしろの客の迷惑にならないのはいいが、たいして倒れないのでちょっとつらいかもしれない。
でも、なにしろきのうの大垣行きの夜行では名古屋まで立ちっぱなしだったのだ。姫路までの間に何時間か眠ってはいるが、おそらく眠れるんじゃないかと思った。
名神高速道路がどんなものか知りたいが、昼間通るときにしよう。まずは眠ろうと思い、ぐっすり眠った。
目が覚めた。
今何時かな。お、もう6時が近づいている。お客はみんな起き出したようだ。
そのうち交代運転手のアナウンスがある。もう東京都内に入っていて、もうすぐ終点の渋谷とのことだ。まだ高速道路の上ではあるが、もう東名ではなく首都高らしい。
それからモニターにビデオが流れ出した。それは、東京の案内だった。都庁とか、浅草とか、東京ディズニーランドとか、いろいろな案内を流している。ぼくみたいに寮に帰って寝る客ばかりでなく、姫路や三ノ宮から東京にやってきて用事をすませる客もいるだろう。
なかなかおもしろい。これからも夜行バスに乗る機会はあるだろうから、いろいろなバスの案内ビデオを見てみたい。そう思う。
ビデオは終わり、バスは高速の出口を通っていく。なにしろ渋谷は東名高速を東京に向けて直進すると通る場所だから高速の出口からすぐのようだ。
バスは高速を出ると高速のわきをしばらく進む。するとようやく見慣れた渋谷の南口が見えてきた。モヤイ像がある方の出口だ。
バスはそこでは停まらず、山手線のガードをくぐって山手線の内側方向に進み、左に曲がった。そしてこっちの方の出口で停車。ようやく約9時間の、はじめての高速バスの体験が終わったことになる。
バスを降りる。それほど見慣れてはいないがたまに来ることのある渋谷の山手線の内側の方の出口だ。見上げれば銀座線の高架もある。
ほかの客は駅に向かい、電車で次の目的地に向かうようだ。はるばる東京に来て用事をすませる人もいれば、ぼくみたいに家に帰ってお昼まで眠る人もいるだろう。
ぼくも渋谷駅に入り、乗り慣れた電車で寮に帰ってお昼まで眠ることにした。またいつか夜行バスに乗ってみたいな。さっそく冬の青春18きっぷのシーズンにでも使ってみたい。
そんなことを考えながら、きっぷを買って改札へと向かった。