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119.最後から二番目の逃亡旅行・6日目

函館本線その3

就寝

地下鉄のさっぽろ駅を出たが、まだ今日乗る快速ミッドナイトまでは時間がある。

ここで旧北海道庁に行くことにした。有名な観光場所だという話だからである。南に進んで階段を昇って外に出て、さらに南に進み、西に進んでみた。

もう午後10時近く、照明もなかったが、ぼんやりと建物が木々のすきまから見えた。
昼間来れば静かないい場所かもしれないな、と思った。まずは心にとどめておこう。

さて、JR札幌駅に戻る。まずは駅の北のサンクスだ。夕食はラーメンを食べたが、快速ミッドナイトの中でおなかがすくかもしれないのでおかしを買っておこう。飲み物は栄町と宮の沢と麻生で買っておいてあるから特に買う必要はない。

ころあいも良く、北海道フリーきっぷを見せて改札を通り、エスカレーターを上がって快速ミッドナイトの出るホームに着いた。2年前にカーペットカーには乗ったが、今日乗るのは普通の席のドリームカーだ。とは言え夜行の座席車には何度も乗っているからそんなに珍しさはないのだが。

シーズンではないが、けっこうお客がいる。どうやら満席のようだ。ミッドナイトの車両がやってきて、ドアが開いた。カーペットカーの時は寝る場所は早い者勝ちだが、ドリームカーの場合席は指定されているからあせる必要はない。

座席にすわる。やはり満席のようだ。そして発車時刻が来る。快速ミッドナイトは無事函館に向けて発車した。

しばらくおかしを食べたり飲み物を飲んだりしていたが、なにしろきのう夜行のおおぞらに乗っていて、しかもろくに眠っていない。

だからすぐにぼくは眠りに落ちてしまった。

起床

「まもなく、列車は終点、函館駅に到着いたします。」
ぼくは車掌のアナウンスで目覚めた。

2年前にミッドナイトのカーペット車に乗った時は、森のあたりで起きて、通称砂原線から駒ヶ岳をながめていたものだが、今日は前の日おおぞらの夜行に乗っていたこともあって、函館までぐっすり眠ってしまった。

荷物をまとめると函館着である。混雑していたドリームカーを降りていった。

さて、まずはやることがある。いろいろ考えたのだが、青森から上野まであけぼのという寝台特急が走っている。その寝台特急には「ソロ」という個室寝台がついている。

もしもこの個室寝台が取れたら生きて帰ろうと考えた。

その場合、今持っている北海道フリーきっぷが津軽線の中小国(なかおぐに)まで有効なので、中小国から帰る駅まできっぷを買えば良い。

もし満席ならこういう経路を取ろうと考えていた。

青森→はつかりで盛岡へ→こまちで大曲へ→普通列車で新庄へ→つばさで山形へ→高速バスで仙台へ→家庭用の延長コードを買う→山に登る→山の適当な木にコードを結ぶ→コードで首を・・・

落命

それくらいこの時のぼくは落ち込んでいた。なお、高速バスで仙台へと言うのはちょっと変化をつけてみたかったからである。

改札を出て、みどりの窓口に向かう。ツインクルプラザはまだ閉まっているからだ。そしてあけぼののソロがあるかどうか調べてもらった。
あった。ソロがあった。この時をもって、ぼくは生還することになったのである。中小国からの乗車券も売ってもらった。

朝食

きっぷを買うと、次の快速海峡まで時間があるので、4日前に寄った函館朝市で、またうに・いくら・ほたて丼でも食べようと考えた。
そんなわけで函館朝市に向かった。

4日前はお昼だったが、今は朝である。もちろん朝市なのでミッドナイトが到着した時刻でも食堂は開いている。
4日前と比べて少し手前の店を選んで食堂に入った。うに・いくら・ほたて丼を注文して待つ。

やってきた。食べる。この店のうに・いくら・ほたて丼もうまい。
今回の逃走は寝台特急と函館の食事くらいしかぜいたくしなかったが、満足することができてうれしい。

すっかり満足して朝市を出て函館駅に向かった。さあ、快速海峡に乗ろう。

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津軽海峡線その2

函館〜竜飛海底

函館駅に戻り、北海道フリーきっぷを見せて改札を通り、エスカレーターを昇り、階段をおりて快速海峡の出るホームに向かった。

さて、今回は青函トンネル記念館見学コース用の「ゾーン539カード」を持っている。
これを持っている場合、見学客専用の指定席車両にすわれるのである。
ぼくはその最後尾の指定席に向かった。以前は喫煙可能な車両だったが、最近はありがたいことに禁煙車となっている。

車内に入り、指定された席にすわると、なんとお客がぼくを含めて男3人しかいない。
さすがに11月の平日ともなるとこれしかお客がいないのだろう。しかももうすぐこの見学コースもあと数日で店じまいなので、そんなわけでお客が少ないのかもしれない。

そして海峡は発車した。もう何回か乗っている列車である。もっとも以前に乗ったのは2年前だからけっこう時間が経っている。それでも見知った景色なのでぼんやりと窓の外をながめていた。じきに函館山が左に見えてきたが、後ろに消えていった。

車掌がやってきたので北海道フリーきっぷ、ゾーン539カード、中小国からの乗車券を見せた。まずはこれでよし。

木古内を過ぎ、しばらくすると何回目になったか忘れたが、また青函トンネルに入っていった。
ゴーゴー鳴り響く中を海峡は進み、そしてトンネルの中で停車した。竜飛海底(たっぴかいてい)駅である。

ケーブル海底駅

ぼくたち3人は出口に進み、外に出た。案内人が待っていた。もちろんJR北海道の人である。
昔は運転手をしていたが、今は引退して案内などをしている人とのことである。

そして案内人につづいて進み、まずは荷物をロッカーに入れた。
そしてさらに迷路のような中を進んでいく。

ここは海底なのである。こんな海底でこんな巨大なトンネルを掘るのはすごいと思う。
そしていちおうコンクリートで固めてあるとは言え、ところどころ地下水が出ている風景を見ると、工事現場なんだなあと改めて思った。

進み切るとついにケーブルカーの乗り場に着いた。このコースはケーブルカーで昇って地上を見学するコースなので、他のコースのことは知らないがそれほど地下にはいないのである。

ぼくたち3人は案内人に案内されてケーブルカーへと進んでいった。地上はどんな風景が広がっているのかなあと思った。

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青函トンネル記念館

のぼり

ぼくは快速海峡を竜飛海底駅で降り、案内人に連れられてケーブルカーの駅にやってきた。

ケーブルカーに乗り込んだ。今まで全国のいろいろなケーブルカーに乗ってきたが、大混雑ですわれないことが多かった。
今日はお客が3人なのでもちろんすわれた。

地下を進むケーブルカーに乗ったこともあった。立山黒部アルペンルートの黒部湖から黒部平に登るケーブルカーだった。景色は見えないが、降りたらどんな景色が待っているのだろうとわくわくしたものだった。幸い晴れたいい景色だった。登ったら霧だったこともある。箱根の駒ヶ岳がそうだった。

ケーブルカーは発車した。このケーブルカーはもともと青函トンネル工事用のケーブルカーだったのだろう。それをきちんと整備して一般客も乗せるようにしたのはありがたいと思う。
このケーブルカーに乗れば残った日本のケーブルカーは神戸に残る地震で休止中の摩耶(まや)ケーブルカーだけである。いつか復活したら乗ってみたい。

そして暗闇から明るい地上駅にやってきた。そして到着。ドアが開き、降りた。
なんでも駅から外に出るには、気圧の関係で地下に通じる通路を閉鎖してから外に通じるドアを開けなければならないらしい。そんなわけでゆっくりと今までケーブルカーが通ってきた道が閉鎖されていく。

やっと閉鎖するとドアを開けてもらい、案内人に連れられて外に出た。

竜飛岬

外に出ると、まずは竜飛岬まで歩きましょうということになった。なにしろせっかくケーブルカーで地上に上がってきたのだから、地上をくまなく見ようというルートなのである。時間が2時間半もあるからできるのである。

外に出た。いなかの風景である。草原が広がっていた。
うしろを振り返ると、けっこう小さい建物である。トンネルが完成しても、トンネルのメンテナンスなど、いろいろこの建物の役割はあるのだろうけど、トンネルの建設中ほどのことはない。だから建物もこのくらいの規模でいいのだろう。

案内人に連れられて竜飛岬までの道を歩いていく。右手にうわさの風車が見えた。
ものの本によれば竜飛はとても風が強い場所だから風車がたくさんあるとのことである。なんとなく叙情的でいいような気がした。

しばらく進むと階段である。ふうふう言いながら登っていく。このあたりにも人家があるらしい。
人家のある場所に行くには別の階段をおりればいいらしい。なんにしてもこのあたりに住むのはたいへんそうだ。

そしてようやく登り切った。登り切った場所には大砲があった。
実際に使われたことはないと思うが、なかなかものものしい設備だなと思った。

そして灯台がある。もちろんこれは使われているだろう。
なにしろ今日はお客が少ないので、なんとなく秘境に来たという感じで津軽海峡の海をながめた。
海

海は線路からも見えるが、岬から見る海はなんとなく特別、という感じがした。

やはり鉄道ファン

案内人とお客の1人が話していた。なんでも案内人は昔、北海道でSLの運転手をしていたそうだ。
お客の1人も、あそこのSLに乗った、あそこのSLにも乗ったと盛り上がっていた。
このお客はさすがに平日に竜飛海底に来るくらいだから、大昔から鉄道ファンなのだろう。

それに比べるとぼくは、本格的にあちこちの鉄道に乗り出したのが1990年代なかばという軟弱者で、しかも今回は会社から逃げ出してきた身の上である。
「真岡鐵道のSLにしか乗っていません」というのがせいいっぱいだった。

しばらく竜飛岬をながめたので帰ることにする。てくてく歩いて青函トンネル記念館に帰ってきた。

帰りのケーブルカーが出るまでは時間があり、記念館の中の見学設備を見てもいいことになった。
しかし時間が中途半端で、青函トンネルの案内のディスプレイとかを半分くらいしか見られないまま時間になってしまった。

くだり

そしてまたケーブルカーのところにやってくる。ドアが開いて乗り込む。
行きとは逆に、下に通じるケーブルの通る道のところの扉が閉まっているので、1分以上かけてゆっくりと開いていく。そして開ききると降下開始である。

明るい地上を離れ、暗闇の中へと進んでいく。

そしてトンネル駅に着いた。珍しいトンネル体験はもうすぐおわるのである。
ぼくたちはケーブルカーを降りて、案内人に連れられて竜飛海底駅へと進んでいった。

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津軽海峡線その3

オレンジカード

ケーブルカーを降りたところで案内人が交代になった。ここから青森行き海峡に乗るまでは新しい人が案内人になるとのことである。

交代して、新しい案内人に連れられてお客3人は暗い通路を進んでいった。

なぜか古い案内人が通路でオレンジカードを売っていた。いつのまに追い抜いたのだろう。
とりあえず1000円のオレンジカードを買った。今日の日付入りの、「青函トンネル体験証明書」と書かれたシートに入ったカードである。

カード

そして荷物置き場に来て、荷物を手にしてまた進んだ。

ホームにやってきた。よくしたもので、電車が轟音をたててやってくるのが聞こえてきた。
案内人と別れて快速海峡に乗る。貴重な体験はこうして終わったわけである。

もちろん乗るのは見学コース参加者専用車両だから、函館から乗ってきた海峡に引き続いて、また男3人である。
とりあえずもう誰も青森まで乗ってこないことは確定しているし、指定席券の座席にこだわらず、海側の席に乗ろうと考えた。青函トンネルを出てから先、蟹田(かにた)を過ぎると海のそばを通ることがわかっているからである。

竜飛海底〜青森

電車は発車し、しばらくはトンネルの中を走っていく。
じきに電車はトンネルを出た。

そして進んでいく。また中小国の西の信号所を通る。路盤がガタガタしだして、東日本エリアに帰ってきたことがわかった。

そして蟹田に停車である。海峡はいつもここで運転手、車掌が交代する。

そしてまた発車だ。いつも通っているとおり、明るい海が見える。ぼくにとってはゆううつな海でもあるのだ。
本州に戻ってきてしまったのである。あと1本、寝台特急のあけぼのに乗ればぼくはゆううつな生活に戻ってしまうのである。

もうこんなことしちゃったから会社に戻れないのかもしれないなあと思っている。それならばそれでしかたないのかもしれない。
そうすればこれからのみのふりかたを考えなければならないだろう。とてもゆううつである。

そんな気持ちとうらはらに海峡は津軽線を進み、左に大きくカーブして青森駅に入っていった。ひさしぶりの青森駅である。

昼食

青森で快速海峡を降り、階段を昇っておりて中小国発のきっぷを見せて改札を通った。

さて、まずは昼食でも食べよう。

2年前に青森に来た時は、すぐ近くにある三角形の建物、「アスパム」で「アスパムラーメン」を食べたものだが、今日は別のところに行きたい。
とは言えあてがあるわけではないので、駅前の大通りをとぼとぼと進んでいった。今日は平日で、もう午後1時半を過ぎているからほとんどお客はいない。

ずいぶん進んだところで、なんとか洋風の食堂を見つけた。スパゲッティでも食べよう。
注文し、北海道で買ったまんがを読んで待ち、出てきたスパゲッティを食べた。
これがどうやら旅行最後の食堂の食事となりそうである。

食べ終わる。午後2時を過ぎていた。

今日は午後6時にあけぼのに乗って実家に帰る予定である。だからどこかに観光に行くわけにもいかない。適当にブラブラして過ごそうと思った。
やっぱりアスパムに行こうかと考えた。

アスパム

てくてくと駅に戻り、駅の手前で右に曲がった。
ふと郵便局を見つけた。特に使うあてもないが、せっかくの郵便局だし、ここでお金でもおろしていくか。

お金をおろすとアスパムへと向かった。2年前と同じく三角形の建物の入口に進み、中に入った。
青森のいろいろな名産品が展示されていたが、特におもしろいものもない。
ぼくはふと、エレベーターで上に行くと何があるのだろうと思い、上がってみることにした。

適当にエレベーターで上がり、おりてみた。
なんのことはない、事務所らしき部屋がいくつかあるだけであった。まあいいかと階段をおりて戻ることにした。

外に出て、海のそばでぼーっと海を見て過ごした。
それから青森ベイブリッジにも昇ってみた。そして景色をながめてぼーっとして過ごす。

古本市

なにもすることがなく、なんとなく青森駅に戻って駅ビルのエスカレーターに乗って上に行ってみようと考えた。上に昇っていく。

昇り切ったところでは、なぜか古本市をやっているようだった。
こんなところで古本市にでくわすとは珍しいこともあるものだ。

本

適当にぶらぶらして、読みたい本を見つけて買っていく。あけぼのの個室の中ででも見てみようと考えた。

そんなことをしているうちに午後5時になった。そろそろ待合室でもあったら行ってみようかと思い、ぼくはエスカレーターで下に降りていった。

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奥羽本線

青森駅

結局、青森駅には待合室などなかった。

青函連絡船があったころ、ぼくは函館駅で連絡船を待ったことがあった。それと同じような待合室が青森駅にもあったにちがいない。青森駅にとって待合室は船のためのものだったはずだ。だから船のない今は待合室もないのである。

ぼくは改札の前でしばらく過ごし、それから外に出て、駅のコンビニのJCで夕食、お菓子を買っていくことにした。

そして午後5時半になった。もう改札に入ってもいいだろう。

ぼくは乗車券と寝台券を見せて改札に入り、エスカレーターを上がって階段をおりてあけぼのの出るホームへと向かった。

その昔は列車を船に入れて航走していたらしく、海に向けてレールは伸びていた。
台風で船が沈んでしまい、それが航走のせいだとされてから航走はとりやめになってしまっている。しかたがないことだと思う。

台風

ぼくが航走と聞いて思い出すのは、大学のドイツ語のテキストで、スカンジナビア半島から列車を航走してドイツまで運んだというおはなしだった。なんだか夢があっていいなあと思いながら話を追っていたことを思い出す。

乗車

ホームにはそば屋が出ていたが、特にそばを食べたいとも思わずあけぼのを待った。
そしてついにぼくを日常の世界へと連れ去る寝台特急あけぼのがやってきた。

列車は所定の位置に停車した。さて、ぼくの今夜一晩の宿となる個室寝台ソロってどんな所だろう。

ドアが開いたので入り、寝台券に書いてある位置に行ってみた。
ぼくの今夜の宿となる個室寝台ソロは上段だった。

ドアを開き、階段のような場所を昇ってみた。

ちょっと狭い。

でも眠るにはいい場所なんじゃないかと思った。

フタのような板があって、それを閉めると本当に個室である。とりあえず開放型寝台よりはスペースが広い。
窓もついていて、けっこう窓は広い。太陽が当たると熱そうだ。

発車

車内改札があるはずなのでフタは開けておく。そしてJCで買った夕食で食事だ。
そのうち発車時刻が来て発車だ。

食事を食べ終わった。そして車内改札。乗車券と寝台券を車掌に見せる。そしてフタを閉める。
車内アナウンスはあるが、静かな車内である。この寝台車は客車なのでモーターがない。
モーターがないだけでけっこう静かなのである。

青森駅の駅ビルで買った本を読んでみた。あまり眠れないまま列車は秋田に着いた。

この個室はどうやら日本海とは反対側のようだ。どうせ日本海は見えないと思い、眠ることにした。
なんとか眠れそうだ。

こうして逃走最後の日も過ぎていった。ぼくはどうやって実家の家族にいいわけしようか、そればかり考えていた。

その後

寝台特急あけぼのを降りて実家にたどり着いた。

ぼくは一昼夜眠り続けた。

眠りから起きたら精神科に連れて行かれ、朝昼晩この薬を飲み続けることと言われ、とある精神科の薬を渡された。

そして3週間後、会社に戻ることになった。会社は逃走の間は欠勤扱いとして給料が引かれ、実家にいる間は休暇扱いとなったほかはおとがめなしで帰ることができた。

書くはずだった文書も、逃走前に書いておいた最終バージョン(逃走前の最後の日に、再度書き直すよういわれたやつ)のままでいいことになった。その他、たまっていた仕事はチャラにされ、ちょっとした新しい仕事を数ヶ月の間することになったのである。

このようにして、2003年3月までこの薬は飲み続けていた。

二度目の1年以上の長い逃走からはもうこの薬は飲んでいないが、薬を飲まなくなってからも、ぼくは、自分が精神異常者の仲間であるという劣等感にさいなまれながら日常を過ごしているわけである。

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