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交通機関・鬼籍・寝台特急

あかつき

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108.大阪めぐりと筑豊本線の客車

鹿児島本線その1

経路の変遷

運行経路が何度か変更になった夜行列車であった。

下で示した2000年3月以前にも経路が変更になったことがあるのだが、いつだかわかりません。そのうちどこかで調べてみたいです。

(1) 2000年3月以前
京都から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線および長崎本線経由で肥前山口に行き、そこから編成が2つに切り離され、一方は長崎本線(市布・現川経由)で長崎へ、もう一方は佐世保線で佐世保へと至る列車である。

(2) 2000年3月以降2005年9月以前
南宮崎行き寝台特急彗星(すいせい)と併結運転された状態で京都から東海道本線、山陽本線経由で門司に行き、門司で彗星と分割されて、鹿児島本線および長崎本線(市布・現川経由)を通って長崎に至る列車である。
佐世保には行かなくなってしまった。

(3) 2005年10月以降2008年3月以前
熊本行き寝台特急なはと併結運転された状態で京都から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線経由で鳥栖(とす)に行き、鳥栖でなはと分割されて、長崎本線(市布・現川経由)を通って長崎に至る列車である。

以前は佐世保行きの車両が黒崎から筑豊本線に乗り入れ、直方(のおがた)や飯塚に停車して、原田(はるだ)を経由して鳥栖に向かっていた(すなわち博多を経由しない)こともあったことを時刻表で見たような気がするが、残念ながらそれがいつ終わり、長崎行きも佐世保行きも博多を経由するようになったかは確認していない。

感想

残念ながら2008年3月14日をもって廃止されてしまった。

採算が取れないくらい客が少なかったかはわからないが、寝台車が老朽化し、新しい寝台車をつくってもそれほどもうからない、そしてなにより運用が面倒であるということから廃止されたのであろう。残念なことである。

その昔、寝台特急にはすべて食堂車が連結されていたが、残念ながら九州に至る夜行列車からは、すべて食堂車がなくなってしまった。また、食堂車がなくなってからも、以前は弁当を売る業者が夕方も朝も乗り込んでいたが、廃止前の数年間はそれらの業者もあかつきには乗らなくなってしまっていた。

あかつきにはレガートシートと呼ばれるリクライニング角度の深いシートの車両があり、通常の指定席の特急料金で乗れていた。
ただし大阪と博多や長崎を結ぶ夜行バスよりは運賃+特急料金がかかるため利用客は少なかった。

ここに記述した旅行記は、夜行バスではどうしても間に合わない筑豊本線の客車に乗るため、ふんぱつしてあかつきに乗ったことを書いたものである。

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はやぶさ

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102.寝台特急はやぶさ往復旅行

山陽本線その1/山陽本線その4

117.最後の西鹿児島発寝台特急はやぶさ

鹿児島本線その2

経路の変遷

東京と熊本を結ぶ寝台特急であった。1997年11月までは東京と西鹿児島(鹿児島中央の当時の駅名)を結んでいた。

客車で運行される、兵庫県より西に向かう最後の寝台特急として残ってきたが、東京と大分を結ぶ寝台特急富士とともに、とうとう2009年3月に廃止されてしまった。

以下に運行の変遷を示す。

(1) 1997年12月以前
東京から東海道本線および山陽本線で門司に行き、鹿児島本線で熊本に行き、そこで編成の一部が切り離されて熊本止まりとなり、残りの編成はさらに鹿児島本線を進んで西鹿児島へと至る列車であった。

(2) 1997年12月以降1999年12月以前
東京から東海道本線および山陽本線で門司に行き、鹿児島本線で熊本に至る列車であった。

(3) 1999年12月以降2005年2月以前
長崎行き寝台特急さくらと併結運転された状態で東京から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線で鳥栖(とす)に行き、鳥栖でさくらと分割されてそのまま鹿児島本線を通って熊本に至る列車であった。

(4) 2005年3月以降2009年3月以前
大分行き寝台特急富士と併結運転された状態で東海道本線、山陽本線で門司に行き、門司で富士と分割され、鹿児島本線を通って熊本に至る列車であった。

感想

その昔、寝台特急にはすべて食堂車が連結されていたが、残念ながらはやぶさが廃止される約15年ほど前からは、九州に至る夜行列車からはすべて食堂車がなくなってしまっていた。また、食堂車がなくなってからも、以前は弁当を売る業者が夕方も朝も乗り込んでいたが、廃止直前はそれらの業者も限られた時間のみ乗り込むようになってしまっていた。

はやぶさにはソファーを備えたロビーカーがあり、朝のけだるい時間に通勤客を見ながらラウンジでぼーっと過ごすことができたのだが、(4)の時点になってからロビーカーは連結されなくなっていた。

なんでも「ブルートレイン」という言葉はサンライズ出雲・サンライズ瀬戸のような電車の寝台特急には使わず、あくまでも客車の寝台特急でなければ使わないそうだ。とある昔のまんがでも583系電車寝台特急のことを「ブルートレインではないけれど」と書いてあったりする。

そんなわけでこのはやぶさと富士は「東京駅を出る最後のブルートレイン」とのことである。
しかしサンライズ出雲・瀬戸も、ムーンライトながらが廃止された今となっては唯一のバス以外の夜行移動手段なので、はやぶさをはじめとする夜行列車がなくなった今、サンライズを大事に使っていきたいものだと思う。

現在、はやぶさの名前はおもに東京〜新函館北斗間を走る東北新幹線・北海道新幹線の名前に転用されている。

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さくら

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44.はじめての寝台特急

鹿児島本線その1

経路の変遷

1999年12月で運行経路が一部変更になった夜行列車であった。残念ながら2005年2月に廃止されてしまった。

(1)1999年12月以前
東京から東海道本線および山陽本線で門司に行き、鹿児島本線で鳥栖(とす)に行き、長崎本線で肥前山口に行き、そこから編成が2つに切り離され、一方は長崎本線(市布・現川経由)で長崎へ、もう一方は佐世保線で佐世保へと至る列車である。

(2)1999年12月以降廃止まで
熊本行き寝台特急はやぶさと併結運転された状態で東京から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線で鳥栖(とす)に行き、鳥栖ではやぶさと分割されて、長崎本線(市布・現川経由)を通って長崎に至る列車である。

感想

その昔、寝台特急にはすべて食堂車が連結されていたが、残念ながら九州に至る夜行列車からは、すべて食堂車がなくなってしまった。また食堂車がなくなってからも、以前は弁当を売る業者が夕方も朝も乗り込んでいたが、現在はそれらの業者も限られた時間のみ乗り込むようになってしまった。

さくらにはその昔、カルテットと呼ばれる4人の団体客用の個室があったが、利用客が少ないせいか、なくなってしまった。

非常に有名な寝台特急で、特に航空機の嫌いな年輩の夫婦に愛用されていたが、博多〜長崎間で特急かもめに乗り換えた方が長崎に早く着く、そして急いで長崎に着くことが必要な人は新幹線で姫路・岡山あたりまで来て寝台特急あかつきに乗り換える人が多いこともあり、寝台特急あさかぜとともに2005年2月に廃止されてしまった。

残念なことである。

現在、さくらの名前は新大阪〜鹿児島中央間を走る山陽・九州新幹線の名前に転用されている。

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出雲

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97.寝台特急出雲・錦帯橋・ひかりレールスター

山陰本線

説明

東京駅から東海道本線・山陰本線を経由して出雲市に至る寝台特急であった。

車両は開放型A寝台および開放型B寝台により構成されていた。

東京から出雲市にはこの列車の他にも「サンライズ出雲」という寝台特急が走っており、個室寝台が多く人気が高いので、米子・松江・出雲市に行く人はまずサンライズ出雲を選択する。また、これらの駅には夜行高速バスも走っている。

そのため、出雲を使用する人は、サンライズ出雲、高速バス、割引のある航空機等が全く予約できなかった人にほぼ限られていた。あとはサンライズ出雲が通らない鳥取や倉吉に行く人などが使うようであった。

この列車には「以前食堂車だった、今は食堂車でない車両」が連結されている唯一の列車となってしまっていた。ぼくが乗った2000年4月にはこの車両で車内販売を行っていたこともあったのだが、廃止直前は東京行きは車内販売が廃止されてしまっていた。

鳥取や倉吉に行ける寝台特急がこれだけであり、利用客が多少あったにもかかわらず、とうとう2006年3月に廃止されてしまった。

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日本海

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119.最後から二番目の逃亡旅行

津軽海峡線その1

説明

大阪から東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線を経由して青森に至る、客車の寝台特急であった。新津〜新発田間も羽越本線経由のため新潟駅は通らなかった。

青函トンネルが開通してから2000年代中期までの間、日本海は2往復あって、そのうち1往復は青森から津軽海峡線を通って函館まで達していた。

しかしいろいろあって青森に短縮され、1往復に減便されたものの2012年3月16日までは毎日運行されていた。

どんどん数を減らしていった東京・大阪と九州の間の寝台特急と比較すると、日本海はおもに大阪・京都と青森・秋田を結ぶ特急であり、航空機が不便な場所であるため、お客はそれほど減らず、かなり使われているようであった。

2012年3月17日以降しばらく運転されなくなりその後2012年のゴールデンウィーク、夏休み、年末年始にそれぞれわずかに数日のみ運転されていた。

2013年はゴールデンウィークに日本海が運転されず、夏休みにも運転されないことがわかったので鬼籍に移動した。

最近は安価な航空会社が増えてはいるが、日本海沿線だった客に限ってはこれらの航空会社の恩恵を受ける確率は低く、まことにやるせない気持ちである。

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あけぼの

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119.最後から二番目の逃亡旅行

奥羽本線

説明

上野から東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線、奥羽本線を経由して青森に至る客車の寝台特急であった。新津〜新発田間も羽越本線経由のため新潟駅は通らないことに注意が必要だった。

廃止直前の数年間は、新潟を経由すると新潟を経由しないルートより運賃が高くなるようになったので、間違えずに新潟を通らないルートで乗車券を申し込むことが必要だった。

以前はあけぼのという名前の列車は、上野〜福島間は東北本線、福島〜青森間が奥羽本線を通る寝台特急であった。しかししばらくの間上野〜小牛田間が東北本線、小牛田〜新庄間で陸羽東線、新庄〜青森間が奥羽本線となり、その後廃止前のあけぼのが走っていたルートを走っていた別の寝台特急を廃止して、そこにあけぼのが走るようになっていた。実質以前のあけぼのの方が廃止になったようなものであった。

あけぼのが福島から奥羽本線に乗り入れていたころ、上野〜青森間はゆうづる、はくつるといった寝台特急があり、仙台・盛岡を経由する短いルートで運行されていた。しかし、ゆうづるはかなり早いうちに、はくつるも東北新幹線が八戸まで来た2002年12月に廃止されてしまい、それから10数年上野〜青森間の夜行列車はあけぼのしか走っていなかった。

東北新幹線八戸開業前は、大宮〜青森間は盛岡経由の乗車券で乗れるルールがあったが、開業してからあけぼのが廃止されるまではまるまる羽越・奥羽本線経由の乗車券が必要になっていた。

2012年3月31日までは東京都内からあけぼのに安く乗れる企画乗車券、逆に東北地方からあけぼので東京に安く行ける企画乗車券があったのだが、3月31日をもって廃止されてしまい、これで全国のどの寝台特急の寝台車に乗る際にも寝台券が必要となっている。

そんな状態でもそれから2年の間、もうこれしか昔を伝える寝台特急がなくなってしまっていたので、お得なきっぷがなくてもけっこうお客もいたようである。

しかし夜間に人件費を割くこともままならぬと感じたのであろう、とうとう2014年3月14日をもってあけぼのは廃止となった。残念なことである。

2014年3月15日から2016年3月25日まで、上り下りともに秋田〜青森間であけぼのが走っていたのとほぼ同じダイヤで特急つがるを1往復増発していたが、つがるは減便になり、これらのつがるは廃止になった。

現在走っているサンライズ出雲・サンライズ瀬戸といえどもいつ廃止になるかわからないので、廃止されないうちに乗っておいた方が良いだろう。

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