130.九州完全乗車旅行宮崎空港・志布志・枕崎・ラクテンチ上 |
上りと下りで運行区間が異なり、下りは博多〜宮崎空港、上りは南宮崎〜博多を結ぶ、夜間に運行される特急であった。
博多〜小倉は鹿児島本線、小倉から西小倉まで逆行し、西小倉〜南宮崎は日豊本線、南宮崎〜田吉(たよし)は日南線、田吉〜宮崎空港は宮崎空港線を経由していた。
宮崎〜宮崎空港は特例で、特急券不要で乗車可能であるものの、加算運賃が適用になっているため結局そんなに安くなかった。
人吉とえびのの間の高速道路が完成し、高速道路だけで博多から宮崎まで行けるようになってしまい、高速バスも走っていてドリームにちりんより安いのだが、2009年にこの高速バスの夜行便が廃止になったため、その分の客が若干増えたのではないかと思われていた。
とは言えもともと流動の乏しい区間なので、博多〜宮崎間をずっと乗る客はほとんどなく、もっぱら長距離で使用するのは周遊きっぷを使う人に限られていた。
短距離ならば博多や小倉から深夜に帰宅する福岡県東部の住民がかなり使用していた。
車両は上の旅行記の1999年の時点では鹿児島本線を走っていた当時の在来線特急つばめと同じ車両を使っていて、非常に乗りごこちが良かった。
その後別の車両が使われるようになり、廃止前の約十年間はずっと在来線特急つばめ(2004年以降は特急リレーつばめ)と異なる車両で運行されていた。
北海道の自由席のあった夜行特急がすべて廃止されてしまったため、夜行で毎日走っていて、しかも自由席のある特急はドリームにちりんのみになってしまっていたが、とうとう九州新幹線博多〜新八代開業日の2日前に廃止になってしまった。
非常に残念なことであり、この廃止により日本の旅がまた1つ不便になることになった。
2011年3月以降も一部区間を除いた区間でドリームにちりんが走っていたのとほぼ同じダイヤで特急が走っており、2018年3月現在下りは中津〜延岡間、上りは延岡〜小倉間を除いた区間である。
この廃止に伴い一時期博多〜宮崎の夜行バスが復活していたが、2013年3月30日に夜行便が終了した。
多客期には運行することもあるらしいがいつ運行するかは不明である。
なお、2014年4月1日より、自由席特急券の有効期間が2日から1日に短縮された。このため、上に示したドリームにちりんの代替列車のうち、
・博多→中津の最終ソニック
・南宮崎→延岡の最終ひゅうが
以上の列車は出発地によっては乗車の時点で午前0時をまわる可能性がある。
その際厳密に規則を適用すれば翌日の自由席特急券でないと無効ということになる。そんなに厳密な適用となるかはわからないが、念のため自由席特急券は買わずに車内精算した方がいいかもしれない。
この時おつりがいらないように細かい金を持っておくべきだろう。
130.九州完全乗車旅行宮崎空港・志布志・枕崎・ラクテンチ上 |
鹿児島本線の博多駅から、ずっと鹿児島本線を通って西鹿児島駅に至る特急であった。
人吉とえびのの間の高速道路が完成し、高速道路だけで博多から鹿児島まで行けるようになってしまい、高速バスも走っていてつばめより安いのであるが、それでもつばめは豪華な特急であるためいつも混雑していた。
非常に乗りごこちが良い車両を使っており、車内にはビュッフェもあったのだが、2004年3月、九州新幹線の開通に伴い廃止されてしまった。
九州新幹線が新八代〜鹿児島中央間で開通すると、「つばめ」の名称は新八代〜鹿児島中央の九州新幹線を示すものとなり、残りの博多〜新八代を走る在来線特急は、「リレーつばめ」という名称になっていたが、さらに九州新幹線が博多〜新八代まで延長されるとつばめの名称は博多〜鹿児島中央間のおもに各駅停車の新幹線で使われるようになり、リレーつばめは廃止になった。
リレーつばめで使われていた車両は、九州各地の電化路線で使われていた老朽化していた車両の置き換えに使われている。
福岡と鹿児島の間には航空機も運航されているのだが、運賃が高く、さらに鹿児島空港は鹿児島市街から離れており、さらに九州新幹線が博多〜鹿児島中央間で開通したので、ほとんど使う人はいなくなったであろう。
117.最後の西鹿児島発寝台特急はやぶさ鹿児島本線その1 |
鹿児島本線の博多駅から、ずっと鹿児島本線を通って西鹿児島駅に至る、夜間に運行される特急であった。
悲しいことに人吉とえびのの間の高速道路が完成し、高速道路だけで博多から鹿児島まで行けるようになってしまい、夜行の高速バスも走っていてドリームつばめより安い。
そのため九州の住民が博多〜西鹿児島間をずっと乗ることはほとんどなかった。
しかし九州外の人がたくさん使用しており、なんとパック旅行にも使われており旗を持った添乗員に連れられてパック客がたくさん乗車する姿が見られていた。
周遊きっぷ、九州グリーン豪遊券を使う人もちらほらと乗っており、博多から深夜に帰宅する福岡県南部の住民もかなり使用していた。
車両は昼間走る特急つばめ(当時の在来線のつばめ)と同じ車両を使っていて、非常に乗りごこちが良かった。
九州新幹線の開通に伴い博多と鹿児島中央の所要時間が短縮されたため、夜行を走らせても仕方がないとの考えにより、廃止されてしまった。
博多から深夜に帰宅する福岡県南部の住民のため、ドリームつばめと同じダイヤで博多〜熊本間のみ運行される特急有明が代替列車として設定された。
この有明は九州新幹線の博多〜新八代開業後約7年間残っていたが、まず2014年3月をもって朝6時前の有明が廃止になり、深夜の有明も2018年3月に廃止された。
その他の時間帯の有明もたった一本、ドリームつばめより若干遅い時刻の朝の有明が大牟田→博多に片道のみ平日に運行されるのみとなった。
また、博多〜鹿児島の夜行バスも相変わらず存在する。
92.智頭急行と北越急行鳥取・小郡・甲浦・岩瀬浜・秋田 |
鳥取県の米子から山陰本線、山口線を通って小郡(おごおり)に至るディーゼル特急であった。
1往復のみ米子から鳥取まで延長されて運転されていた。
ちょっと古いディーゼル特急型車両を使用した特急であった。
このあたりは大きな道路が少なく、直通する高速バスも走っていないため、おもに島根県内で松江などに用事のある人が乗っているようであった。
しかし山口県に入るとバスの方が便利なためややお客は少ないようであった。
現在は区間は同じで「スーパーおき」という名称に変更になっている。
おそらく車両を新しくしたのであろう。
そしてスーパーおきはおきの時代より本数を減らしてしまい、減った分は鳥取発益田止まりのスーパーくにびきに変わってしまい(2003年10月に特急スーパーくにびきは特急スーパーまつかぜに名称変更)、山口線を通る特急の本数がものすごく減ってしまった。山口線ではあまりJRの特急が使われていないのであろう。
2013年8月に起きた水害によりスーパーおきは最初は益田〜新山口間、一部復旧により津和野〜新山口間を運休していたが、2014年にもとどおり復旧した。
なお、現在小郡駅は新山口駅という名称になっている。
115.急行砂丘と急行かすが鳥取・福知山・天橋立・門真市・奈良 |
新大阪駅から、福知山線・山陰本線経由で鳥取駅に至るディーゼル車の特急であった。
かつては京都・大阪から山陰本線や福知山線経由で数多くの昼間の特急が鳥取に向かっていたのに、智頭急行ができてからは、
・鳥取に向かう特急は大半が智頭急行経由の特急スーパーはくと
・途中の浜坂に向かう特急は播但線経由の特急はまかぜ(1往復のみ鳥取行き)
・京都から山陰本線経由、新大阪から福知山線経由の特急はほぼすべてが電車で、電化区間の城崎(現在は城崎温泉と改称)止まり
となってしまい、福知山線・山陰本線経由の鳥取行きはわずかにこの特急エーデル鳥取のみになってしまっていた。福知山〜鳥取を結ぶ特急はこれだけだったわけである。
なにしろ、山陰本線経由だと北近畿ワイド周遊券の自由周遊区間内なのに、智頭急行まわりはそうでないため、エーデル鳥取は周遊券利用者にとって非常に貴重な特急だったはずなのである。
しかしぼくが実際に乗ったところまるでお客がいなかったので、周遊券ファンからも見放されていたのであろう、周遊券が廃止されるのと前後してエーデル鳥取も廃止されてしまった。
この車両は老朽化していた急行だいせんにあてられることになったが、そのだいせんも2004年に廃止されてしまった。その後この車両がどうなったかわからないが、JR西日本はディーゼル特急区間が山陰に多いのでそちらにまわされているのかもしれない。
115.急行砂丘と急行かすが鳥取・福知山・天橋立・門真市・奈良 |
新大阪から尼崎まで東海道本線を通り、福知山線まで福知山線を通り、福知山から第三セクター北近畿タンゴ鉄道で宮津、天橋立を経由して豊岡に至るディーゼル特急であった。
以前は福知山〜宮津間の北近畿タンゴ鉄道宮福線が開業していなかったこともあり、特急タンゴディスカバリーが走っていた京都〜綾部〜西舞鶴〜久美浜間の特急がタンゴエクスプローラーだったこともあった(ぼくが乗った時がそうである)。
しかし宮福線開業後しばらくして整理されて新大阪発がタンゴエクスプローラー、京都発もしくは北近畿タンゴ鉄道内のみの列車がタンゴディスカバリーとなっていた。
この特急は俗に「日本三景」と呼ばれる天橋立に向かう特急であり、観光シーズンにはお客が多かったようである。
しかし最近大阪から福知山近辺まで高速道路が開通し、それを利用した高速バスも便数が増えて特急のお客を奪っていたような気がする。
どんな事情があるのかわからないが、2011年3月に福知山線に新型特急こうのとりが走るようになると、福知山線の特急は臨時列車を除いていっさい北近畿タンゴ鉄道への乗り入れをやめてしまい、それとともにタンゴエクスプローラーの名称も使われなくなった。
新大阪〜天橋立間に臨時特急が走る際も「特急こうのとり」として走り、福知山〜宮津〜天橋立〜豊岡間の特急には新たに「特急たんごリレー号」という名称が与えられることになった。
大阪から北近畿タンゴ鉄道沿線に来る際は非常に不便になったわけである。今後の乗客の減少が懸念される。
北近畿タンゴ鉄道は2015年4月1日から「京都丹後鉄道」という会社に引き継がれたが、現在のところ福知山線の特急が臨時列車を除いていっさい京都丹後鉄道に乗り入れない状況に変化はない。今後どうなるか注意深く見守る必要がある。
特急たんごリレー号は短縮され、現在は福知山〜宮津〜天橋立〜網野間のみ走っている。
115.急行砂丘と急行かすが鳥取・福知山・天橋立・門真市・奈良 |
おもに以下の3系統があった。いずれもディーゼル車の特急であった。
(1) 京都から綾部まで山陰本線を通り、そこから舞鶴線で東舞鶴に至る列車。
(2) 綾部まで(1)の列車と併結して進み、そこから(1)と分離して福知山に進んで北近畿タンゴ鉄道に入り、豊岡に至る列車。
(3) JR区間を通らず、北近畿タンゴ鉄道の西舞鶴から豊岡までのみ走る列車。
ただし西舞鶴から天橋立までは普通列車扱いで特急券は不要であった。天橋立から豊岡までの区間に乗る時のみ特急料金が必要であった。
当初は(2)(3)の列車の中に豊岡発着でなく、宮津や久美浜(くみはま)止まりの列車や、逆に城崎温泉まで乗り入れている列車があったが、廃止直前は福知山止まりの列車がある他はすべて豊岡発着になっていた(ただし久美浜〜豊岡が快速扱いの列車あり)。
この列車は山陰本線の園部〜綾部間が電化されて京都から天橋立まで電車が乗り入れ可能になり、さらに智頭急行が開業して特急スーパーはくとが運行を開始し、京都〜福知山間に鳥取行きの列車が走らなくなってから走るようになっていた。
福知山〜宮津間の宮福線を通る列車だったこともあり、必ずしも特急タンゴエクスプローラーと運行区間が厳密に分かれているわけではなかった。
そのうちディスカバリーの方が京都発着の列車に固定されたわけであるが、ふたたび宮福線を通るようになっていたわけである。
どんな事情があるのかわからないが、2011年3月に福知山線に新型特急こうのとりが走るようになるとともにタンゴディスカバリーの名称は使われなくなり、
(1)の列車→「特急まいづる」
(2)の列車→「特急はしだて」(ただし久美浜〜豊岡間は快速)
(3)の列車→「特急たんごリレー号」
という名称に変更になった。
ただし、従来列車がディーゼル車か電車かで特急の名称は厳密に分かれていたが、今度から、
・東舞鶴に来る列車はディーゼル車でも電車でも特急まいづる
・京都から宮津・天橋立・久美浜に来る列車はディーゼル車でも電車でも特急はしだて
・北近畿タンゴ鉄道のみを走る特急はすべて特急たんごリレー号
と変更されている。
おそらくこうのとりの新設に伴い古い車両を廃止する際に、大幅に特急の運行経路を見直した結果こうなったのであろう。
もしかしたらタンゴディスカバリーとして走っていた車両の一部が廃車になっているのかもしれない。悲しいことだが今までありがとうと心の中で祈ろう。
北近畿タンゴ鉄道は2015年4月1日から「京都丹後鉄道」という会社に引き継がれたが、現在のところ特急はしだておよび特急たんごリレー号は引き継ぎ以前と同様に京都丹後鉄道を走っている。今後どうなるか注意深く見守る必要がある。
特急たんごリレー号は短縮され、現在は福知山〜宮津〜天橋立〜網野間のみ走っている。西舞鶴には行かなくなった。
115.急行砂丘と急行かすが鳥取・福知山・天橋立・門真市・奈良 |
東海道本線の新大阪駅から、東海道本線で尼崎、福知山線で福知山、そして山陰本線で城崎温泉(きのさきおんせん)に至る電車特急であった。
朝晩の一部の列車に途中駅の豊岡、福知山始発終着の電車があった。
城崎温泉はその名の通り温泉地であるため温泉客が乗る電車となっていた。沿線各地から大阪に用事のある客も多い。
2011年3月に福知山線に新型特急が走るようになると北近畿の名称は廃止され、新たに特急こうのとりが走るようになった。福知山止まりや豊岡行きや城崎温泉行きがあることも北近畿と同様である。
もしかしたら北近畿として走っていた車両の一部が廃車になっているのかもしれない。悲しいことだが今までありがとうと心の中で祈ろう。
76.男鹿線の虹・東三条のラーメン盛岡・大館・男鹿・東三条・弥彦 |
87.五能線の海・松本電鉄東武宇都宮・弘前・大湊・酒田・新島々 |
大阪から金沢に至る電車特急であった。山科〜近江塩津間は湖西線を通り、その他の区間は東海道本線、北陸本線を通っていた。
停車駅はけっこう多く、大阪を出発して新大阪、京都、敦賀(つるが)、武生(たけふ)、鯖江(さばえ)、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松を経て金沢に至っていた。
その他大津京、堅田(かただ)、近江今津や松任(まっとう)に停車する列車があった。
その昔、1990年代後半ごろまで雷鳥は、大阪を出て北陸本線・信越本線経由で新潟まで行く特急だった。しかしそれほど需要がないと判断したのであろう、雷鳥は金沢止まりになり、新潟を走る特急北越も金沢止まりとなってしまった。
さらに2010年3月から1年間、毎日走る雷鳥はわずか1往復となり、残りはずべて臨時列車になってしまっていた。
そしてとうとう2011年3月に廃止になったわけである。大阪と北陸を結ぶ特急には、雷鳥の他に富山や和倉温泉まで向かう特急サンダーバードがあり、今回すべてサンダーバードになったわけである(2015年にサンダーバードは金沢〜富山の乗り入れは廃止。和倉温泉行きは継続)。
おそらく雷鳥として走っていた車両の一部が廃車になっているのだろう。悲しいことだが今までありがとうと心の中で祈ろう。
上記の旅行記はまだ新潟県内を雷鳥が通っていたころの旅行記である。
91.立山・黒部アルペンルートと特急白山信濃大町・室堂・和倉温泉・氷見・城端 |
上野駅から、高崎線・信越本線・北陸本線経由で金沢に至る電車特急であった。
1日1往復で、車両は急行能登と同じものを使用していた。朝、金沢・福井に着いた能登の車両が昼間に白山として上野に向けて発車したり、朝、上野に着いた能登の車両が昼間に白山として金沢に向けて発車していた。
上越新幹線ができて、長岡経由(北越急行ができてからは越後湯沢経由)の方が所要時間が短くなったのではあるが、乗り換えのいらないこの特急はそれなりに客を集めていた。
しかし高崎〜長野間の新幹線開通と引き替えに信越本線の横川〜軽井沢が廃止され、バス転換されるのと同時に白山は廃止されてしまった。
白山に使用されていた車両は2010年3月まで急行能登で使用されていたが、車両の老朽化に伴い、臨時列車として走っていた2010年3月から約2年間、白山で使用されていた車両とは別の車両で急行能登は運行されていた。
92.智頭急行と北越急行鳥取・小郡・甲浦・岩瀬浜・秋田 |
上越新幹線・上越線の越後湯沢(えちごゆざわ)駅から上越線で六日町(むいかまち)に進み、六日町からJRをはずれて第三セクター北越急行(ほくえつきゅうこう)に沿って西に進み、犀潟(さいがた)からJR信越本線で直江津(なおえつ)に進み、直江津から北陸本線で金沢(かなざわ)に至る電車の特急であった。朝晩のみ金沢から福井まで延長されていた。
この列車は北越急行が開業した1997年3月から北陸新幹線が金沢まで開通した2015年3月まで走っていた。
北越急行ははくたかの廃止に伴い、特急がなくなってしまった。このためとても不便になってしまった。
これまではくたかの運賃収入が北越急行の黒字をささえてきたとのことなので、今後北越急行は赤字になるものと思われる。いつまで北越急行が継続するか心配である。
以前は「はくたか」という名前の特急は、上越新幹線が走る前に上野〜長岡〜金沢の在来線で走っていた。現在、はくたかの名前は東京〜金沢間を走る北陸新幹線の名前に転用されている。