104.大嶺と仙崎山陽本線その1 |
112.ムーンライト九州と新宮夜行山陽本線 |
114.松山の市電と九州の西友鹿児島本線その2 |
124.ムーンライト八重垣と博多南駅鹿児島本線その2 |
新大阪から東海道本線・山陽本線・鹿児島本線を経由して博多に至る臨時夜行快速列車であった(以前は京都から出ていたが、2007年ごろから新大阪始発に変わっていた)。
運行期間は一定しておらず、だいたいゴールデンウィーク・夏休み・冬休みが多かった。以前は10月の連休に運行されていたり、博多から熊本まで延長運転されていたこともあったとのことである。
たいていムーンライト九州という列車名だったが、運行開始当初は年末年始にふるさとライナー九州という列車名になっていたことがあった。
車両はリクライニングシートを備えた客車で運行されていた。そして下関と門司で電気機関車が交換されていた。
自由席がついてはいるが、青春18きっぷが使えないゴールデンウィークといえども満席になってしまうことが多かった。
指定席も満席になりやすく、喫煙禁煙の区別をして指定席を購入する必要があった。深夜の岡山でかなりの客の乗り降りがあった。
1995年ごろから今まで、青春18きっぷが使えるシーズンには必ず何日かは運行していたが、2009年春になってとうとう運行されなくなってしまった。2009年夏にも運行されないことを確認したため「鬼籍」に移動した。
120.ごめんなはり線とサンライズ瀬戸土讃線その1 |
123.ムーンライト高知とムーンライト松山土讃線その1 |
京都から東海道本線・山陽本線・瀬戸大橋線・予讃線・土讃線を経由して高知に至る臨時夜行快速列車であった。
運行期間は一定しておらず、だいたいゴールデンウィーク・夏休み・冬休み・その他3連休などの期間が多かった。
運用方法に2種類あり、全車グリーン車指定席で運用されることと、グリーン車と普通車の2種類の指定席で運用されることがあった。
青春18きっぷでは普通車にしか乗れないので注意が必要であった。
車両はなんでもグリーン車の方はけっこう上等の客車で運行されるとの話だが、普通車の方はかなり古い客車を使っていて、暖房が効きすぎるのが難点であった。
機関車は京都から岡山までが電気機関車、岡山から高知まではディーゼル機関車であった。
ちょうど上りと下りが岡山ですれちがうので、京都から岡山までひっぱってきた電気機関車はそのまま京都行きにくっついて京都に戻り、高知から岡山までひっぱってきたディーゼル機関車はそのまま高知行きにくっついて高知に戻る運用になっていた。
(ただしムーンライト松山が走る日は、岡山で連結された機関車は松山に向かい、高知に向かう機関車は途中の運転停車駅の多度津(たどつ)で連結されるかもしれない。)
ムーンライト高知の運行からさらに昔、高松から中村まで走る夜行普通列車があったらしい。この列車はそんな時代をほうふつとさせる列車となっていた。
1995年ごろから今まで、青春18きっぷが使えるシーズンには必ず何日かは運行していたが、2009年春になってとうとう運行されなくなってしまった。2009年夏にも運行されないことを確認したため「鬼籍」に移動した。
123.ムーンライト高知とムーンライト松山予讃線その5 |
京都から東海道本線・山陽本線・瀬戸大橋線・予讃線を経由して松山に至る臨時夜行快速列車であった。
運行期間は一定しておらず、だいたいゴールデンウィーク・夏休み・冬休み・その他3連休などの期間が多かった。
同じように走るムーンライト高知より若干運行期間が短いのが特徴であった。すなわち、ムーンライト松山が走る時は必ずムーンライト高知が走るが、ムーンライト高知が走り、ムーンライト松山が走らない日があったということである。
車両はかなり古い客車を使っていて、暖房が効きすぎるのが難点であった。
機関車は京都から岡山までが電気機関車、岡山から松山まではディーゼル機関車であった。
ちょうど上りと下りが岡山ですれちがうので、京都から岡山までひっぱってきた電気機関車はそのまま京都行きにくっついて京都に戻る運用になっていた。
松山からひっぱってきたディーゼル機関車も翌朝には松山に戻るのだが、岡山で引き返すのか、それともムーンライト高知と連結される多度津(たどつ)で引き返すのかよくわからない。
ムーンライト松山の運行からさらに昔、高松から宇和島まで走る夜行普通列車があったらしい。この列車はそんな時代をほうふつとさせる列車となっていた。
1995年ごろから今まで、青春18きっぷが使えるシーズンには必ず何日かは運行していたが、2009年春になってとうとう運行されなくなってしまった。2009年夏にも運行されないことを確認したため「鬼籍」に移動した。
124.ムーンライト八重垣と博多南駅山陰本線その1 |
八重垣と書いて「やえがき」と読む。
大阪から東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線を経由して出雲市に至る臨時夜行快速列車であった(ただしぼくがこの列車に乗った1996年は京都が始発であった)。
運行期間は一定しておらず、だいたいゴールデンウィーク・夏休み・冬休みが多かった。
車両はボックス型4人座席の客車で運行されていた。
鳥取・島根に用事のある人しか使う必要のない列車なので、時期を選べばあまり混雑することのない列車であった。
自由席、指定席の他、寝台車も連結されていた。もちろん青春18きっぷでは乗れず、乗車券と寝台券が必要であった。
深夜の岡山で長時間停車していた。
ムーンライト九州・ムーンライト高知・ムーンライト松山が2008年冬を最後に運行されなくなり、八重垣も運行の望みがなくなったため、「鬼籍」に移動した。
47.伊勢奥津から名張に向かうバス東海道本線その1 |
49.近鉄湯の山線の旅行東海道本線その1 |
57.雨の鈴鹿線東海道本線その1 |
59.近江鉄道と信楽高原鐡道東海道本線その1 |
93.近鉄特急と大阪の地下鉄東海道本線その1 |
103.富山の私鉄と神岡鉄道東海道本線その1 |
104.大嶺と仙崎東海道本線その2 |
106.台風の翌日スカイマークに乗る東海道本線 |
107.しまなみ海道とジャンボフェリー東海道本線その1 |
108.大阪めぐりと筑豊本線の客車東海道本線その2 |
116.高千穂鉄道と南阿蘇鉄道東海道本線その1 |
120.ごめんなはり線とサンライズ瀬戸東海道本線その1 |
125.二度目の東京ミニ周遊券旅行東海道本線その1/東海道本線その3 |
126.三重県のねこ・和歌山の鉄骨飲料東海道本線その1 |
127.関西のケーブルカー旅行その2東海道本線その1/東海道本線その4 |
129.井原鉄道とくま川鉄道東海道本線その1 |
東京駅から東海道本線を経由して岐阜県の大垣(おおがき)駅に至る夜行快速列車であった。
車両は特急にも利用される、リクライニングシートを備えた電車で運行されていた。
もともと2020年の時点でムーンライトながらに使用されていた電車は、以前はリクライニングシートではなかったようだが、リクライニング機能が追加された模様である。
1996年の時点ではデッキと座席を分けるドアがなく、ホームに面したドアが開くと直接風が吹き込んでくるような車両が使われていたが、2020年はデッキと座席が分かれてドアのある車両が使われていたようである。
全車指定席であり、以前は一部の車両が名古屋止まりだったこともあるが、臨時になるとともに全車両大垣行きとなっていた。
2007年3月16日まで一部車両は小田原から自由席だったため小田原で自由席を求めて乗ってくる客がいたが、この日以降は全車指定席になった。指定席が買えなかった客は乗ることができなくなってしまったわけである。
大垣で降りる客の大多数は京都方面に向かうようであった。名古屋で降りてしまう客も多かった。意外と静岡での乗り降りも多かった。
2010年が過ぎて数年が過ぎると運行期間がとみに減ってしまったため、いつも発売数秒で満席になっていた。
以前は喫煙席と禁煙席があったが、最後の約10年間は全席禁煙であった。
走り始めは1996年3月で、それ以前にも全車自由席(一部グリーン車)の東京発大垣行き、大垣発東京行きがあったが、横浜や大船などから乗る人の便宜を図って指定席がつけられたようである。それ以前は確実にすわるため、横浜から東京に出てすわっていく人もいたようである(ぼくもやったことがある)。
この列車は青春18きっぷが売られる以前からあり、けっこうお客もそのころからいたようである。
以前は日付が横浜で切り替わるため、東京から乗る客は横浜までの乗車券を買って乗れば青春18きっぷを節約できたのだが、2006年3月18日から東京の発車が約30分早くなり、日付の切り替えは小田原になった。だから東京から乗る場合東京〜小田原間の乗車券を用意する必要があり、場所によっては青春18きっぷを1日分小田原まで使った方が安いという人がいただろう。
小田原まで小田急を使って小田原から乗るという人も多かっただろう。
さらに、2009年3月14日から大幅に停車駅が減ったので注意が必要であった。
下りの停車駅は東京・品川・横浜・小田原・沼津・静岡・浜松・名古屋・岐阜・大垣で、
上りの停車駅は大垣・岐阜・名古屋・豊橋・浜松・静岡・沼津・横浜・品川・東京であった。
熱海は運転停車はするがドアを開けなかったようだ。そして下りが豊橋に停車しないので飯田線に乗るには浜松で降りて始発を待つか名古屋から引き返すしかなくなってしまっていた。上りも小田原に停車しなくなっていたし、この上なく不便になっていたわけである。
2009年3月までは毎日走る電車だったが、4月の青春18きっぷシーズンが終わり次第運行を休止する臨時列車となってしまっていた。
さらに、以前は全車自由席だった臨時の大垣行きは数年間「ムーンライトながら91号・92号」という全車指定席の電車だったが、2009年3月のシーズンにはこれも運行されなくなり、以降ずっと運行がなかった。
2009年以降、徐々に運行日数が減っていたが、2012年以降2020年まで、春はわずか1週間しか運行されていなかった。
2009年3月13日までムーンライトながらとして運行されていた車両は、現在は飯田線を走る特急伊那路(いなじ)などとして運行されているとのことである。
2012年3月16日までは、朝一番の東京発静岡行き、19時過ぎに静岡を発車する東京行きにこの車両が使われていたが、3月17日からは使われなくなり、ほぼ同じダイヤで東京発沼津行き、沼津発東京行きが走るけど普通のJR東日本の車両が走るようになった。この日以降、毎日走る東京を出た普通列車は沼津より西には行かなくなったわけである。
また、なんでも東京ビッグサイトや幕張メッセで若者がたくさん集まるイベントがあり、イベント期間にはムーンライトながらを利用してそれらの施設に行く人がたくさんいて、そのため自由席がついていた時代は大混雑になっていたという話である。
この列車はぼくにとって、東京より西に行く時の基本となる列車であり、この列車があるからこそぼくは旅行を続けらていた、そういう列車であった。
だからこの列車がなくなったらとても困る人がたくさんいたであろうと思われる。
2021年1月にJR東日本とJR東海は、今後二度とムーンライトながらを運行しないことを発表した。これでまた一つ、日本の旅行が不便になるわけである。
109.万葉線と高山から松本に向かうバス大糸線その1 |
新宿駅から、中央本線・篠ノ井線・大糸線経由で白馬に至る臨時の夜行快速であった。
快速なので青春18きっぷで乗れるが、全車指定席なので指定席券が必要であった。
岡谷〜塩尻間はみどり湖を経由していた(停車はしなかった)。
従来新宿〜白馬間には急行アルプスが毎日走っていたが、客の減少に伴い廃止され、それからしばらくして青春18きっぷで乗れる臨時のムーンライト信州が運行開始になっていたというわけである。
青春18きっぷが使えるのでいつも満席のようだった。
この列車は、夏は長野に向かう登山客が多く利用していたと思うが、冬も走っており、冬山に登る人がそんなにいたとも思えないので、冬どんな人が使っていたかわからないが、単に青春18きっぷで旅行したい人が使っていたかもしれない。いずれにせよ、廃止されてしまったムーンライト九州同様、いつまで走るかわからないので走っているうちに乗っておきたい列車であった。
とうとう2019年春は運行されないことになった。夏も運行されないことになったため、鬼籍に移動した。
32.ひさしぶりの木更津フェリー内房線 |
東北本線の大宮駅から、おもに武蔵野線、京葉線、内房線を通って館山駅に至る、臨時快速電車であった。
いつ運転されるかは年によって異なり、おもに2月や3月の南房総で花の咲く季節の、土日のごく一部で運転されていた。
この電車の経路は複雑で、大宮〜南浦和間は1995年当時ふだんはお客の乗る電車が通らないレールを通って大宮から南浦和の武蔵野線ホームに至り、そこから先南船橋までは普通に武蔵野線を通り、さらに南船橋から館山までは特急さざなみの通るルート(京葉線・内房線)を通って館山に行っていた。
なにしろふだん通れない場所を通ることから鉄道ファンに人気があってもいいんじゃないかと思われる電車であったが、普通に館山に行きたい客も利用していたのではないかと思われる。
南房フラワー号という名前はもう使われていないが、2014年現在も年に数回、大宮と館山を武蔵野線・京葉線・内房線経由で結ぶ臨時快速が走っている。2014年の列車名は「花摘み南房総号」であった。大宮と館山を結ぶ列車は名前が変わってもずっと続いているらしいのでそれなりに客がいるのだろう。
また、2010年代になって、この列車の経路の一部、大宮〜西船橋・新習志野・海浜幕張間に1日3往復、快速しもうさ号が走ることになった。時間が合えばこの列車を使ってもいいかもしれない。
60.大混雑・黒部峡谷鉄道上越線 |
新宿から大宮まで「湘南新宿ライン(当時はそう呼ばれていなかったが)」と同じ線路を進み、大宮から高崎線で高崎へ、高崎から上越線で越後湯沢に至る臨時の夜行快速列車であった。下りのみで上りは運行されていなかった。
4人がけボックスシートの車両で運行されていた。
確か全車指定席だったような気がするのだが、自由席もあったかもしれない。
1997年は尾瀬・谷川号という名前だったが、上越新幹線にたにがわが走り始めてからしばらく「快速尾瀬ハイク」という名前で運行されていた。
快速なので青春18きっぷも使えたはずだが、ぼくが乗った時点では満席にはほど遠い状態だった。
なにしろ、越後湯沢に到着するのが午前2時ごろというとても不便な列車だったのが原因と思われる。もともと途中の沼田で降りてなんらかの連絡バスで尾瀬に向かう客をあてこんだ列車なのではないかと思われるが、そういう客は浅草から野岩(やがん)鉄道の会津高原尾瀬口(以前は会津高原という駅名だった)に向かう夜行列車を使うと思われる。こちらは朝5時まで眠ることができる。
水上などで降りて登山する客もあまり多くなかったようで、最近は新宿発越後湯沢行きの快速は走っていないようである。
41.ムーンライトで左沢信越本線 |
新宿から大宮まで「湘南新宿ライン(当時はそう呼ばれていなかったが)」と同じ線路を進み、大宮から高崎線で高崎へ、上越線で宮内に進み、信越本線で新潟へ、白新線で新発田(しばた)へ、新発田から羽越本線で村上に至る夜行の快速列車であった。
車両は快速用の車両の座席をはずして、新幹線のこだまで使われていたリクライニングシートを取り付けた車両で運行されていた。
以前は長岡から車両の一部が分割されて直江津方向に進み、新井まで行っていたこともあったとのことである。
新潟〜村上間が全車自由席で、新宿〜新潟間は全車指定席だった。
ムーンライトという名前だったのは1996年3月までで、それ以降は「快速ムーンライトえちご」という名前になった。
大垣行き夜行がムーンライトながらという名前になったのと同時にながらと区別するという意味で「えちご」が付いたというわけである。
青春18きっぷが使える時期は指定席券発売から早いうちに満席になるようであった。
青春18きっぷが使えない時期でもゴールデンウィークだと満席になることもあるようであった。
青春18きっぷで乗れる夜行快速の中ではムーンライトながらの次にお客の多い夜行で、特に北に向かう旅人にけっこうな人気であった。
ムーンライトながらが走り出す前の大垣行き夜行と同様に、北の方から幕張メッセや晴海の東京国際見本市会場で若者がたくさん集まるイベントに参加する人も乗るのかもしれないが、あまり数は多くないようであった。
121.遠野とほっとゆだ羽越本線その2 |
132.仙石線と只見線白新線 |
新宿から大宮まで「湘南新宿ライン」と同じ線路を進み、大宮から高崎線で高崎へ、上越線で宮内に進み、宮内から信越本線で新潟に至る夜行快速列車であった。
車両は長い間、快速用の車両の座席をはずして新幹線のこだまで使われていたリクライニングシートを取り付けた車両で運行されていた。在来線特急っぽい車両に変わっていたこともあった。
当初は新潟から羽越本線の村上駅まで運行されていたが、2000年代前期に新潟までに短縮されてしまっていた。
新潟から村上までは上下とも以前えちごが運行されていたダイヤで快速が走ってはいるが、新潟で深夜・早朝の乗り換えが必要になってしまっていた。
村上まで運行されていた頃は新潟〜村上間が全車自由席で、新宿〜新潟間は全車指定席だった。
新潟に短縮されたので全区間全車指定席となっていた。
また、えちごという名前になったのは1996年3月からで、それ以前はえちごが付かず、「快速ムーンライト」という名前だった。
大垣行き夜行がムーンライトながらという名前になったのと同時にながらと区別するという意味で「えちご」が付いていたというわけである。
えちごが運行される時期は、指定席券発売から早いうちに満席になっていたようである。
青春18きっぷで乗れる夜行快速の中ではムーンライトながらの次にお客の多い夜行で、特に北に向かう旅人にけっこうな人気であった。
ムーンライトながらと同様に、北の方から東京ビッグサイトや幕張メッセで若者がたくさん集まるイベントに参加する人も乗るのかもしれないが、あまり数は多くないようであった。
2009年3月13日までは毎日走る電車だったが、2009年3月14日から2014年5月まで、おもに青春18きっぷが使える時期にしか走らない臨時列車となっていた。
2009年の時点ではムーンライトながらと違い、ムーンライトえちごはゴールデンウィークそして10月の鉄道の日記念・JR全線乗り放題パスの季節(ただし金曜土曜のみ)も運行されることだけが唯一の救いであったが、2010年以降、10月の運行はなくなっていた。
それ以降もムーンライトながらより運行期間は長かったのだが、突然2014年になってお盆の期間に運行されないことになってしまった。こうなるともう今後再度の運行は望み薄であるため、残念ながら2014年をもってムーンライトえちごを「鬼籍」に分類することにした。せめてムーンライトながらより長く運行してほしかった。
87.五能線の海・松本電鉄五能線 |
奥羽本線の東能代駅から、五能線を通って同じ奥羽本線の川部駅に至り、向きを変えて弘前駅に至る列車であった。
とは言ってもノスタルジックビュートレインと呼ばれているのは1車両だけであり、普通のディーゼル車に特別車両が連結される形で運行されていた、だからその特別車両に乗る場合は指定席券が必要だったが、普通のディーゼル車車両に乗る場合指定席券は不要だった。
五能線はながめのいい路線で、沿線に観光地も点在しているため、JR東日本の熱心な宣伝のかいもあってお客は徐々に増えてきていた。
そんなこともあってノスタルジックビュートレインより新しい「リゾートしらかみ」と呼ばれる特別車両を五能線に通すことになり、ノスタルジックビュートレインの車両は五能線からは引退した。どこか別の路線で名前を変えて走っているのかもしれないが、あまりくわしいことはわからない。
66.雪の函館津軽海峡線その1/江差線その2/津軽海峡線その2 |
105.航空機を使わず札幌・ミッドナイト旅行津軽海峡線 |
119.最後から二番目の逃亡旅行津軽海峡線その2/津軽海峡線その3 |
青森駅から、津軽海峡線を経由して函館駅に至る客車の快速であった。
青函トンネルを通る旅客列車の大半がこれで、特急券も急行券も不要の列車はこれだけであったので、多少はお客がいたようである。
列車は海峡専用の客車が使用されていたほか、急行はまなすで使用された車両が青森に朝着いた後で夜札幌に向かうまでの間に快速海峡として函館まで1往復することがあった。
この列車は筑豊本線が電化されて客車の運行が廃止されてからわずかな間、「JR唯一の普通列車の客車」であった。そんなこともあってずっと運行されていてほしかったのだが、2002年12月に東北新幹線が八戸まで到達するのと同時に八戸〜函館間に特急白鳥が新設され、快速海峡は廃止となってしまった(その後北海道新幹線開業に伴い特急白鳥は廃止)。
このため中小国〜木古内間は特急・急行のみ走る区間になってしまい、例によって青春18きっぷ関連の特例が2002年から2016年まで適用されていた。
快速海峡が廃止されてからしばらくの間、この車両は臨時の特急「ドラえもん海底列車」として函館〜吉岡海底間を走っていたが、これも廃止されてしまい、さらに吉岡海底駅自体も廃止されてしまった。
105.航空機を使わず札幌・ミッドナイト旅行函館本線その4 |
119.最後から二番目の逃亡旅行函館本線その3 |
函館から長万部まで函館本線、長万部から沼ノ端まで室蘭本線、沼ノ端から白石まで千歳線、そして白石から札幌まで函館本線を通って函館と札幌を結ぶ夜行の快速であった。
七飯〜大沼間は札幌行きは渡島大野(新函館北斗のミッドナイト運行当時の名称)、仁山を通らない区間、函館行きは通る区間を通っていた。大沼〜森間は、札幌行きは大沼公園経由、函館行きは渡島砂原経由の区間を通っていた。
全車指定席であり、通常の座席のほかに「カーペットカー」と呼ばれる船の二等寝台みたいにカーペットにじかに寝る車両がついていた。
ほかに特徴と言えば、停車駅が多客期とそうでない期間で異なることであった。多客期は苫小牧や東室蘭などの駅でも客の乗り降りが可能であったが、そうでない期間は停車駅が函館と札幌の間は新札幌のみで、残りの駅はたとえ停車しても運転手の交替を行うだけの運転停車であった。
このため青春18きっぷを使う場合、多客期とそうでない期間で1日の区切りの駅が異なるため客にとってはめんどうであった。
この列車は国鉄がJRになった頃から2000年代前半まで走っていたが、とうとう廃止されてしまった。客はたくさん乗ってはいたものの、あまり利益にならない列車だったのだろう。
ミッドナイトが廃止されても青森〜札幌の急行はまなすは廃止されなかったが、こちらも2016年3月に廃止された。
そして2016年3月以降も函館〜札幌間は夜行バスが走っている。バス会社によっては新函館北斗にも停車するようになった。